ロレンス編集部
1989年TT・・・マン島TT今昔物語 #6
みなさんはTTの「ハットトリッククラブ」という言葉を聞いたことがありますか? フットボールやホッケーでは1試合で3つのゴールを決めるとハットトリックと言いますが、TTの場合は1回の大会で3つのクラスで優勝することを、ハットトリックと表現します。ハットトリッククラブという団体があるわけではありません。1つ勝つだけでも大変なTTを、TTウィークの内で3勝してしまうグレートなライダーを讃え、「◯◯選手はTTエリート、ハットトリッククラブの一員となった!」と記述したりするわけです。"ビートルズ"の名曲「Eight days a week」をもじって、「Three wins a week」という表...
ロレンス編集部
マン島今昔物語(番外編) 記録王ジミー・シンプソン
"オーバー・ザ・トン"=平均時速100マイル超えに関連したマン島TTコースレコードのあゆみについては、マン島今昔物語 #3でご説明しましたが、第二次世界大戦前の時代の速度記録更新に関して、最も貢献したひとりの英国人ライダーがいました。男の名はジミー・シンプソン。彼は1922年から1934年までのキャリアの間、5度もTTのコース記録を更新。平均時速60マイル、70マイル、そして80マイルの壁は、すべてシンプソンが初めて打ち破ったのです。
ザ・レコード・ブレーカー
出典:
1922年は英スコットに乗りプライベーターとして初めてTTに参戦。翌1923年から1928年までの間は英AJSのワークス...
ロレンス編集部
1911年TT・・・マン島TT今昔物語 #5
昔のバイクには、ギアボックスもクラッチもなかった!?
1907年に始まったマン島TTですが、当初から今日使われているマウンテンコースが使用されていたわけではありません。20世紀初頭のモーターサイクルはギアボックス(変速機)もなければクラッチもナシ。後輪の駆動は革ベルトが当たり前でした。下の白黒写真は第1回TTの単気筒クラスに優勝したマチレスに乗るチャーリー・コリアーです。
出典:
黎明期のTTマシン
そしてこちらの白黒写真は、同じく第1回TTの2気筒クラス勝者のレム・ファウラーのノートン(仏プジョーエンジン)です。今のモーターサイクルを見慣れた人には、自転車にエンジンを載せただけの乗り物...
ロレンス編集部
1939年TT・・・マン島TT今昔物語 #4
2014年のマン島TTは、マイケル・ダンロップがドイツのBMW久々のセニアクラス勝利・・・しかもスーパーストック、スーパーバイク、そしてセニアの合計3勝をBMWにプレゼントしたことが大いに話題となりました(車両はBMW S1000RR)。ではその前のセニアクラスのBMWの勝利はいつだったのかというと、なんと3/4世紀前・・・第二次世界大戦前の1939年のことでした。
プロパガンダとしてのモータースポーツ参戦
出典:
1939年9月のナチスドイツによるポーランド侵攻で、欧州は第二次世界大戦の泥沼にはまり込むことになるわけですが、その直前に開催されたマン島TTはそんな時代背景もあって非常に政...