パっと見る限り、公道を走るスリムなネイキッドやスクランブラーと大差のないスタイルのダートトラック競技用モーターサイクル。しかしその本質は、しなり特性に優れた軽量なフレームに高出力なエンジンを搭載し、無駄な要素を極力排した純粋なレーシングマシンです。本日は、一般的な "街乗りバイク" との差異を静かに際立たせるマシンの骨格 = スペシャルフレームを生んだビルダーたちの、栄枯盛衰のヒストリーをすこーし紐解いてみましょう!

レース用スペシャルフレーム史はルールvs.競技者のイタチごっこの産物?

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。ダートトラックレーシングの本場アメリカで、現代のAFTシリーズにまで連なる伝統の最高峰シリーズは、 "全米選手権 = グランドナショナルチャンピオンシップ (GNC) " と呼ばれてきました。

GNCが正式にスタートしたのは1954年ですが、それ以前の1920年代から、当地の国内レースは統括団体のAMAにより、数多のモーターサイクルメイカーがその威信と技術を賭けて戦う、今で言うなら motoGPマシンにも近いコンセプトの "レース専用プロトタイプマシン = クラスA" を中心として行われていました。

小メイカー同士での販売市場の奪い合いが激化したこと、また1929年からの大恐慌の影響もあり、参加するブランドが徐々に淘汰されその数を減らしていくと、AMAは市販量産車主体の "クラスCカテゴリー" を、選手権レースの主軸に据える戦略へと新たな舵取りを試みます。

画像: 1935年カリフォルニア・クラスC車両のレース車検。

1935年カリフォルニア・クラスC車両のレース車検。

クラスC初のレースは1933年に行われましたが、この時を境にダートトラックはメイカー主導からプライベーターのものへと徐々に雰囲気を変え、今日にも続くおおらかなメンタリティと独特の素地が形成されるきっかけともなった、と歴史家の間では考えられています。

市販量産車を使用し、当初は改造の範囲も制限が大きかったクラスCですが、コンペティターとそのマシンを誂えるチューナーは "目立たぬようにバレないように" その規則を知らんぷりしたり破ったり曲解したり・・・要するにまぁ、勝つためにはありとあらゆる (悪) 知恵を絞るようになります。

画像: つい最近でも誰それ選手は二気筒マシンの車検で常に開かず確認しない側の気筒だけ排気量拡大してるとかってもっぱらの噂・・・それホント?

つい最近でも誰それ選手は二気筒マシンの車検で常に開かず確認しない側の気筒だけ排気量拡大してるとかってもっぱらの噂・・・それホント?

そこでAMAはいたちごっこに終止符を打つべく、1960年代後半に車両ルールの緩和に乗り出し、その一環として1968年シーズンから市販量産車とは異なる "レース専用カスタムフレーム" の使用を認めることになりました。というわけで以降、全米各地に個人規模のフレームビルダーが続々と誕生。1970年代のダートトラックレースシーンでは、エンジンメイカー + フレームメイカー様々な組み合わせのマシンが活躍し、彩り豊かな独特の風景を作り出すことになります。

今日のダートトラックレーシングについても "クラスC" という呼称を一部では見聞きしますが、これがこのスポーツで使用するマシンが公道を走る市販量産車のスペックと全然一致しない・・・でも見た目はわりとそれに近い・・・理由のひとつでもあります。ちなみにヨーロッパが表舞台の似て非なる二輪オーバルレースカテゴリー "スピードウェイ" は使用する燃料すらガソリンでないレーシング・プロトタイプ "クラスA" として、アメリカでは明確に区分化されています。スピードウェイとダートトラック (フラットトラック) のマシンが混走するシーンが (少なくとも公式な競技の場面では) ほぼ皆無なのは、ライディングスタイルの違いだけでなく、そのあたりにも事情があるのです。

画像: Sammy Halbert Rides A Speedway Bike youtu.be

Sammy Halbert Rides A Speedway Bike

youtu.be

※余録:スピードウェイ競技に挑戦するAFTトップライダーの図。なかなか苦戦してます。

ここ試験に出ますか?名の知られたレーシングフレームビルダー興亡の歴史

スワンソン・フレーム (1967〜)

前述のAMA選手権のルール改訂の前年、ニューヨークでケン・スワンソンが開業。最初に作られた2台のブルタコ用フレームはジョン・ランドとニール・キーンのためのもの。

ソニックウェルド・フレーム (1968〜)

ケン・ワトキンスとレイ・ヘンズリーによって創業。プロライダーのニール・キーンが開発に協力。リアサスペンションなしのリジッドフレーム・前後ブレーキレスで戦った最後の時代のフレーム。

トラックマスター・フレーム (1969〜)

ソニックウェルドを去ったレイ・ヘンズリーとニール・キーンが創業。ゲイリー・ニクソンが起業資金を一部出資し、多くのトップライダーたちに愛される。1978年からはBMXフレームの製造販売も並行して開始。1980年代に入り業績が低迷すると、ヘンズリーは釣りガイド (!) に転職するべくカナダへ移住し、事業を終了。その後オーナーを幾度も変えながら現在もブランド名だけは存続中。

チャンピオン・フレーム (1970?〜)

ダグ・シュワルマが創業。ケニー・ロバーツを擁するヤマハファクトリーのダートトラックマシンに採用され、結果を残したことで、瞬く間に本場レースシーンでトップシェアとなり一時代を築く。と思われたが、経営は非常に厳しく、1976年にシュワルマが苦悩の中で自死を遂げたことで事業は頓挫、後にレッドライン社に買い取られる。(1975年にはBMXフレームも販売開始)

レッドライン・フレーム (1970〜)

トラックマスターを辞めたマイク・コンルとリン・カーステンによってスタート。他社に比べ比較的低価格で良質なフレームを製造し、トラックマスター、チャンピオンに次ぐ第三のブランドに。1974年にBMXフレームの製造を開始。1976年にチャンピオン社の商標と資産を買収。その後レッドライン (BMXフレーム専業) とチャンピオン (モーターサイクルとBMXフレームを製造) に分社化。

C&J・レーシング・フレーム (1970〜)

ジェフ・コールとスティーブ・ジェンジェスの2人が、プロライダーのダラス・ベイカーのためのプライベート・ブランドとしてフレーム製作を開始。3人は高校の同級生。6年後にジェンジェスはロン・ウッド社に転職。C&J社の最も良く知られた仕事は、1980年代のアメリカンホンダ・ファクトリーチーム用のマシン (RS500D・RS750D) のための一連のフレーム製作。ジェフ・コールは2005年までに会社とフレーム製作用ジグを売却し、現在は別の人物が事業とブランド名を継承している。

ナイト・レーシング・フレーム (1976〜)

フレーム製作工としてチャンピオン社で働いていたテリー・ナイトがシュワルマの死後に独立開業。引退したばかりの名ライダーのマート・ローウィルが彼を支援し、当初はローウィル・ナイト社と呼称。ヤマハ・ホンダとの関係が深まり、1970年代後半から80年代にかけてシーンで主流派となる。

シェル・フレーム

1930年代にインディアンのレース用マシンのチューニングを始めたシェル・トゥエットが創始者。1973年以降の数年間、USヤマハからの依頼でファクトリーチームそのものの運営を任され、ケニー・ロバーツ、ジーン・ロメロ、ドン・カストロらにフレームを製作。その後ヤマハ車メインの独立したチューナーとして"シェル・レーシング・スペシャリティ"社を興し、一般ユーザーにも製品を供給。

スターレーサー

カナダから釣りガイドを辞めて米国に戻った (?) レイ・ヘンズリーとニール・キーン、ラリー・ケネディによる新たなフレームメイカーとして出発。前後ホイールを一直線上に配置しない独自のオフセットレイアウトが最大の特徴。現在も後継者がビンテージマシン用フレームなどを数多く製作中。

J&M・フレーム

ナイト・レーシング・フレームのディーラーのひとりだったマイク・オーウェンが、製造を終了したナイト社の穴を埋めるかたちで自ら起業。現在も多くのプロライダーにフレームを製作している。

ロン・ウッド

過去に当コラムで追悼文を書いていますので故ロン・ウッド御大については以下からどうぞ。

その他にもボス・フレーム、カーティス・レーシング・フレーム、チェニー・エンジニアリング、ケニー・ロバーツフレーム (!) 、バイパー・レーシング・フレーム、などなど、最盛期には一人親方の小規模な工房まで合わせれば、まさに星の数ほどのフレームビルダーが存在しましたが、本場アメリカといえどいかんせん母数の少ないマーケットであるこのダートトラックレース界、過当競争であることは否めず、そのほとんどは1980年代以降、静かにその舞台から退場していくことになります。

ポキポキ壊れる安い買い物じゃないし、一度組むと買い替え機会もそうはありませんからね・・・。

フレームビルダーの生き残る道・・・80年代BMXブームに救われた人たち

チャンピオン・フレームの創業者ダグ・シュワルマの悲劇的な最期を例に挙げるまでもなく、ブームの最盛期を過ぎ、事業規模のアタマ打ちに悩むフレームビルダーたちが活路を見出そうとしたのは、映画 "ON ANY SUNDAY" の冒頭にも登場する新しい自転車スポーツ・カルチャー、BMX = バイシクル・モトクロス用フレームの製作でした。いくつかのブランドはこの分野で大成功を納め、BMXブームの立役者になって軸足をそちらへ移しますが、今日でもダートトラックフレーム製作をその出自にもつことを強くアピールしています。

好きなことに情熱を傾けることとビジネスと、そのいずれもの結果を両立するのは、競技の本場でも非常に難しいことなのだなぁと感じる反面、先達の残した遺産をどう後世に伝え深化させていくか、そんなことも考えさせられる、大きなテーマのひとつと言えるかもしれませんね。

あと何十年か後にはモーターサイクルは過去のものになる?かもしれませんが、その前に次世代のひとたちのために形あるものとしてなにか遺せたらな、とか!柄にもなく最近頭を悩ませています。

ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!

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