ロレンス編集部
Kawasaki 空冷Z開発物語【Z1編】vol.3 全てに要求された230キロ対応
Kawasakiのバイクを語る上で、欠かせない存在である空冷Z。そんなZの開発物語を、当時の開発担当者の話を交えて迫っていきたいと思います。続いては、エンジン開発陣の苦闘のお話。 【稲村暁一さん】Z1からZZR1100まで、ほとんど全てのカワサキ4サイクル車を開発設計。Z1・Z2に関しては主にエンジンを担当。 【井上隆至さん】Z1/Z2の動弁系、クランク等の開発、Z400のエンジン設計を担当。 【大槻さん】当時の稲村さんの上司。あだ名はHP。 【荒木徹さん】1000に移行する辺りからZに携わる。技術総括部プロジェクト室主幹。
ロレンス編集部
Kawasaki 空冷Z開発物語【Z1編】vol.2 エンジン開発陣の苦闘
Kawasakiのバイクを語る上で、欠かせない存在である空冷Z。そんなZの開発物語を、当時の開発担当者の話を交えて迫っていきたいと思います。続いては、エンジン開発陣の苦闘のお話。 【稲村暁一さん】Z1からZZR1100まで、ほとんど全てのカワサキ4サイクル車を開発設計。Z1・Z2に関しては主にエンジンを担当。 【井上隆至さん】Z1/Z2の動弁系、クランク等の開発、Z400のエンジン設計を担当。 【大槻さん】当時の稲村さんの上司。あだ名はHP。 【荒木徹さん】1000に移行する辺りからZに携わる。技術総括部プロジェクト室主幹。
ロレンス編集部
永遠の名車!【Kawasaki Z】の歴史を振り返ろう。 ‐MORIWAKI Z1‐
70年代後半、時代遅れと言われたZ1でワークスに挑んでいた男
1978年第一回鈴鹿8時間耐久レースに参戦したモリワキレーシングは、Z1レーサ ーにグレーム・クロスビー、トニー・ハットンのペアで快走。ガス欠によるピットイン作業でトップを明け渡すものの、後半の猛追で3位入賞の快挙を成し遂げた。
1981年の鈴鹿8時間耐久ロードレースに向けた初走行でワイン・ガードナーがいきなりコースレコー ドを出したマシン。 それがモリワキ製のオリジナルZ1だったのだ。
モリワキエンジニアリング代表:森脇 護
1944年生まれ。ヨシムラを経て独立後、モリワキエンジニアリングを設立。70年代後半、プライベーター...
ロレンス編集部
永遠の名車!【Kawasaki Z】の歴史を振り返ろう。 ‐1972年、Z1伝説の始まり‐
“最大、最速”を掲げて計画が始動した「Z1」
650㏄バーチカルツインのW1 、2スト3気筒のマッハⅢで 、当時隆盛のアメリカ市場に打って出たカワサキが、次なる世界戦略車種として密かに開発を進めていたのが、当時としては未知のメカニズムだったDOHC4気筒エンジンを積む750マシン。その開発は「N600計画」と名づけられ、 1969年秋の市販化を目指してすでに実走テスト段階にまで入っていたが、その矢先の68年10月、東京モーターショーでホンダがCB750フォアを発表。
OHCとDOHCの違いこそあれ、 『並列4気筒750cc』というあまりにも似通ったマシンのデビューによって、N600計画は...
ロレンス編集部
トーマスの【カネがあったら買っちゃうぞ】KAWASAKI Z1
やっぱりこれかな、と思うのは空冷Zの祖
カワサキ四発の元祖、Z1。903ccの空冷直列4気筒の心臓で、82馬力を発生させます。
1972年に登場したZ1のコードネームは ニューヨークステーキ 。
もともとは空冷4気筒750ccのスポーツバイクを出す、というコンセプトを持っていたカワサキでしたが、1968年にホンダがCB750を先にリリースしたことで、750ccではなく900ccにターゲットを変えて、新たに開発。
排気量だけでなく、パワー、最高速、操縦性すべての面でホンダを超えて、世界一の称号を得るために技術のすべてを尽くして作り上げたのが、このZ1。
同じカワサキの、例えばマッハのデザイ...