ロレンス編集部
[Flat Track Friday!!] 写真や動画じゃ響いてこない?不世出の超一流選手が残した "伝説の一戦" の数字は我々になにかを語るのか?
"圧倒的に不利な条件をはねのけ、完膚なきまでに相手を打ち負かし勝利をモノにする" ・・・スポーツに限らず誰しもきっと一度は夢想する、劇的なシーン。こんなイメージを地で行って、20年近く経った今も語り継がれる "伝説の一戦" での活躍を、アメリカン・プロダートトラック史に残した選手がいます。2002年夏のイリノイ州ピオリア。全米選手権伝統の地での54回目のTT戦決勝、最後列最後尾18番手からスタートした21歳のニコラス・パトリック・ヘイデンは、25周の間に17人全員を抜き去るという、観衆のド肝を抜くパフォーマンスでトップチェッカーを受けて優勝したのです。
ロレンス編集部
[Flat Track Friday!!] もっと知りたい!安く軽く力強く作れた黄金時代の庶民の味方?空冷2ストローク・ショートトラッカーの話。
1970年代から80年代初頭まで、本場アメリカのプロ・ショートトラック戦、あるいはアマチュアレーサー向けのダートトラックマシンといえば、軽量ハイパワーで構造がシンプル・比較的安価でチューニングの方向性も定めやすい "空冷2ストローク250cc" が最良の選択肢でした。完成車ブルタコ・アストロや、ヤマハYZ250エンジンはその筆頭ですが、調べを進めると、数年後に名車RS500D / 600D をこの舞台へ送り込むホンダも、他社と同様にメイカー主導でのエンジンチューニングや、2ストローク・ショートトラッカーのコンプリート車両販売を模索していたことがわかってきました。