今日からちょうど2年半前、不慮の事故でこの世を去ったニッキー・ヘイデンが、純アメリカンスタイルのプロフェッショナル・ダートトラックレース出身で、やがて世界的ロードレーサーの階段をてっぺんまで登っていったことは一応広く知られていますが、10代後半くらいのまさに駆け出し期、そのダートオーバルでのライディングが正味どんなものだったかを、映像で実際目にした方はあまり多くないかもしれません。本日は当時のレース中継から印象的な数戦をピックアップ、錚々たるベテランレーサーたちに果敢に挑む、若くエネルギーに満ち溢れていた彼の才能に迫ってみましょう!

今も語り継がれる"超大型新人登場"。

WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。長兄のトミー、弟のロジャー・リーと同じく小学校入学前からダートトラックレースを始めたニッキーは、若干7歳ですでに全米アマチュア選手権での年齢・排気量クラス別タイトルを獲得。16歳になるとその年の最も優れたアマチュアダートトラッカーに贈るAMAの新人賞・ホライゾンアワードを受賞し、翌年からいよいよプロクラス・GNC: 全米プロダートトラック選手権への参戦を開始します。

画像: 1998 Joliet Half Mile Main Event youtu.be

1998 Joliet Half Mile Main Event

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デビューイヤー1998シーズンのニッキーはレースナンバー "69c" を使用。Cはフロリダ・ジョージア・ケンタッキー・ノースカロライナ・サウスカロライナ・テネシー・アラバマ各州所属のライダーに当初割り当てられるアルファベットで、予選を勝ち抜けてファイナルレースに進出するなど一定の活躍を見せた暁には、晴れて2ケタ数字 (文字ナシ) の "ナショナルナンバーホルダー" となります。

画像: 1999 Del Mar Mile Main Event youtu.be

1999 Del Mar Mile Main Event

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1999シーズン最終戦カリフォルニア州デルマー・マイルでは、25周の決勝レース・ファイナルラップ・3〜4ターンまで、トップを走るハーレーファクトリーのスコット・パーカー (史上最多9シーズンの全米王者・本戦がフルシーズン参戦からの引退前最後のレース) に勝負を仕掛ける猛追ぶり。また同年のヘイガースタウン・ハーフマイルではハーレーダビッドソンXR750に乗ってGNC初優勝を遂げ、GNCルーキーオブザイヤーとAMAアスリートオブザイヤーを獲得します。

画像: 2000 Dirt Track Hall of Fame Race youtu.be

2000 Dirt Track Hall of Fame Race

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ニッキーのプロ・ダートトラッカーとしてのGNCシリーズ参戦は1998〜2002年のわずか5年間。アメリカンホンダと契約を結んだ2000年以降はロードレースのスケジュールの合間を縫って、ごく限られたレースへのスポット参戦という形ではありましたが、まずはスプリングフィールド・ショートトラックでGNC2勝目。過去2年間TCRでチームメイトだった大先輩、ウィル・デイビスをインからアウトから攻め続けての勝利です。 (4:10から同ショートトラックのダイジェスト映像あり)

画像: 2001 Peoria TT Main Event youtu.be

2001 Peoria TT Main Event

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シーズン前に手首を怪我した2001年は、2年目となるホンダファクトリーチームでのRC51・AMAスーパーバイク選手権に重点を置いたため、ダートトラック活動は少々セーブ気味。とはいえ上のピオリアTT決勝では、ジャンプ着地〜ライトハンダー区間でチェーンロックによって転倒するまでは単独2位を走り、スプリングフィールドTTでは兄トミー (カワサキ契約ロードレーサーなのにメイカーロゴを隠したヤマハYZ426で出走が許される大らかさ!) に次ぐ2位表彰台を獲得します。

画像: 2002 Springfield TT youtu.be

2002 Springfield TT

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翌年からのモトGP転向前最後のシーズンとなった2002年、おそらくAMAグランドスラム (マイル・1/2マイル・ショートトラック・TTのダート4種目とロードレースでの全5種目制覇) を狙ったはずのニッキーは、マイル戦に (契約の都合上) ホンダ車で勝利するためGNC18 テリー・プービーのRS750Dを借り受け、スプリングフィールドとデュコインの2つのマイル戦に出走するも願いかなわず。とはいえキャリア集大成とばかりの大暴れ、スプリングフィールド・ショートトラックでは2戦2勝。ピオリアTTでは最後尾グリッドから25周で全員抜いて優勝。そしてスプリングフィールドTTでも優勝し、兄トミー・弟ロジャー・リーとAMA史上初 "決勝レース表彰台を兄弟で独占" の快挙を成し遂げます。

画質ザラザラ・期間限定?かも!この姿しっかり記憶に焼き付けるべし。

20年近く前のニッキーの現役時代の勇姿がいまこうして多く見られるのはとてもラッキーです。どれも長くて画質最悪ですが、一見の価値あり!ではないでしょうか。当時は動画サイトとかSNSとかありませんでしたから、写真や個人撮影のものなんかを得るのもなかなか大変なことでしたし。

筆者がいま改めて見直したくて何年も探し続けているのは2002年シーズンの最後の最後、カリフォルニア州デルマーのローカル・ショートトラックでのぶっちぎり優勝を記録したホームビデオ2つのバージョンと、同じく2002年のピオリアTT全員抜き中継映像、です。本場アメリカのプロライダーたちも誰も持ってないとのことなので、もしどなたかお持ちでしたら是非ご連絡ください。

しかし本当に、惜しい人がいなくなっちゃいました。もちろん優れたダートトラックレーサーはその後も続々と現れてきますが、あの頃我々皆を引きつけた彼のようなライダーは本当に稀有な存在だと言えるでしょう。

ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!

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