ニッキー + CRF450Rというと "イキった鳥のマンガ柄" が有名ですよね?
WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。"みんな大好きニッキー・ヘイデン" のCRFといえば、タンクシュラウドにチェッカーフラッグを振りかざす悪人 (鳥) 面の "ウッディー・ウッドペッカー" をあしらったマシンが印象的ですが・・・?
当時ユニバーサルスタジオがアメリカンホンダチームをスポンサードしたことが由来の、MXファクトリーチームと同一のグラフィックスを纏うこのマシンに彼が乗ったのは、実は翌2002年のこと。
2002年というのは、ニッキーがMotoGP・レプソルホンダチームにV.ロッシの同僚として加入し、ルーキーデビューを果たす前の年。彼自身の最後のGNCシーズンでもありました。この年の "ウッディー・CRF450R" での彼の活躍は、2つのスプリングフィールド・ショートトラックでの圧勝、ピオリアTT決勝・最後尾スタートからの全員抜き優勝、またスプリングフィールドTTでの兄トミー・弟ロジャーとの史上初の3兄弟による表彰台独占など、枚挙にいとまがありません。
今日取り上げるのはその前年、まだ正式発売されたばかりの最新鋭モトクロッサーを素材に、20歳のニッキーと彼の強力な支援者たちによって手探りで作り込まれ、強豪ひしめくカリフォルニアでのレースに投入された "新時代ダートトラックマシンの試金石" とも呼ばれることになるマシンです。
600ccから400ccへの転換期。雑誌企画から誕生した"最新鋭飛び道具" ?
ニッキーとこのマシンがパドックに姿を現したのは、全米最高峰のプロ選手権、AMA・GNC: グランドナショナルチャンピオンシップではなく、当時GNCに次ぐビッグイベントだった、その名も "フォーミュラUSAシリーズ" 全11戦のシーズン最終節、カリフォルニア州デルマーでのショートトラック + マイルレースのWヘッダーでした。
アメリカンホンダのレーシングマネージャーだったチャック・ミラーと、1972・73・74年のAMAモトクロス250ccクラスチャンピオンであるゲイリー・ジョーンズ・・・プロ引退後は著名オフロード雑誌でのテストライダーなどとして多方面で活躍・・・は、雑誌 "ダートバイクマガジン" の企画として、2002年モデルが初登場となるCRF450Rを素材に、早々とダートトラックチューニング = DTX化を行い、当時若干20歳でダートトラックとロードレース双方でその才能を爆発的に開花させつつあったニッキー・ヘイデンを乗り手として、レースにまで参戦することを発案します。
その斬新なアイディアの舞台として、ショートトラックとマイル戦のWヘッダー、しかもアレコレと制約の少ない非・全米プロ選手権が、チューニングショップやレースファンの多く集う西海岸で開かれるというのは大変好都合でした。実際この企画は、市販バージョンのCRF450Rそのものが (モトクロスファンにとっては馴染みのないDTX仕様ではあるものの) モーターサイクル雑誌の誌面に登場する、世界初の機会ともなったのです。
このシーズン、フォーミュラUSA・ダートトラックシリーズはプロ・シングルスクラスにシリーズタイトル (No.1プレート) をかけていましたが、各社の450ccモトクロッサー登場前夜ゆえ、その主役は400cc単気筒。1998年発売のヤマハYZ400F (2002年からYZ426F) や、2000年発売のスズキDR400が日本製エンジンとして有望で、排気制限なしのフルパワー可。
401cc以上はアメリカンレースでお馴染みの吸入制限板 = リストラクタープレートを取り付け、性能の均衡を保つルールが課され、450ccまでが37mm、505ccまでが33mm、それ以上は30mmにまで吸入口径を絞らなければなりません。通常44mm程度のキャブレターを使うROTAXエンジン (当時のレースシーンでは600cc前後が定番。最大だと750ccとかも?) を極端な小口径に制限して走らせるのは極めて不利なため、有力ライダーのマシンセットアップはバラエティに富み、たとえばランキング首位のプービーは排気量を下限ギリギリ400ccまで落とす作戦だったとか。
さて、最新鋭450ccで41mmキャブレターが標準装着されるCRF450Rをどう仕上げるか・・・?
人々の技術と経験と "トリックパーツ" が生んだ純正超えのスペック?
彼らはエンジン内部には大きく手を入れることなしに、フォーミュラUSAのレギュレーションに合致した450cc + 37mmリストラクターのセットアップを選択。最良の設計を意図した純正状態から比べ、直径にして4mmも吸入口径を縮小するのはかなりのパワーロスにつながりそうですが・・・。
このマシンでは、単に口径を制限するのではなく、空気の流れ方を大幅に変える整流板をエンジンインテーク側に装着して混合気の流速を高め、また当時の西海岸オフロードシーンでは有数のチューニングパーツビルダーだったホワイトブラザース社に特注した (外見は市販品と同じですが) ダートトラック専用設計のエキゾーストパイプを装着。事前のシャーシダイナモでのパワーチェックでは、メイカー公表スペック比で106%程度まで出力向上が見られたそうです。入り口絞ってるのに。
現行最新型モデルのCRF450Rに、モトクロス界の著名チューニングショップ "プロサーキット" がプロライダー向けチューニングを施したマシンで、メイカー比110%くらいのパフォーマンスと言われますから、厳しい制約にも関わらず、かなり良い数値を出しているといえるでしょう。
パワーチェックを終えたCRF450R "スペシャル" はいよいよレース会場に向けて出発・・・する前に、当時カリフォルニア州コロナにあった、伝説の鉄スリッパ職人ケン・メリーのプライベート・ショートトラックに送り込まれ、ニッキー自身によって数日間の入念なテスト走行が行われました。
彼らが試したのは、異なるいくつかのフットペグ位置・数パターンのハンドルバー形状・ホワイトブラザースが製作した様々な仕様の前後ダートトラック用サスペンション・・・おそらく最良と思われる組み合わせが見出せたころ、ニッキーはこのマシンについて (だいたい) こう述べます。
"パワーと速さは600ccROTAX並み。ただしまだそこまで信じてイチャイチャできるわけじゃない"
のちにゲイリー・ジョーンズはこのプロジェクトについて、
"もっと時間があれば、より高いトラクション性能を求めてスイングアームを短く加工したいと我々の誰もが考えていた。ニューモデルゆえにまだ予備パーツも完全に揃わない状況だったからリスクを避けたけれど・・・余裕があれば自分用にもう1台仕立てて手元に残したかったかな"
そして週末のデルマーWヘッダーでは、土曜のショートトラックに44台がエントリーするなか、ハーレーファクトリーのリッチ・キングと2位を競りながら、最終的にはトップを走るシリーズチャンピオン、テリー・プービーにあと30cm差まで肉薄して決勝2位。日曜のマイル戦も決勝5位と健闘。
その後このマシンはメイカーに返却され行方知れず・・・と言われていますが、どうやらアメリカンホンダの広大な倉庫の中に今も眠っているみたいですよ。日本から出張で訪れたCRF450R開発者のひとりがこのマシンを実際に見て、"元設計改悪の世界一アグリーなCRF" と涙を流したと聞いた事がありますが・・・余計なお世話ですよね。目的に合わせて最善の手を加えた結果のはずですけど?
本日の教訓: 大切なものは目に見えない・・・ことがちょいちょいある
このマシンが登場したレースを取り上げた当時の我が国の雑誌がいくつか手元にありますが、"前後19インチタイヤと短いサスペンションをくっつけただけの廉価版・普及向けダートトラッカー" と説明書きがあります。きっとそんな誌面に惑わされて?真に受けて?本場のフィーリングを見抜けなかった方って大勢いたと思うんですよね。今で言うならあちら本場のプロ仕様車にはスリッパークラッチ必ず付いてるし・・・。これはまぁ、発信する側も受け取る側もどっちもどっち、ですが。
あるいは写真からだけホイールリム幅とかハンドル形状とかサスペンションハイトを観察して、もしかしてライダー本人が数多のセットアップを試したうちのひとつでしかないのに、それを唯一の解と思い込んでしまったり。路面コンディションだって毎周変わるし土質にもよるはずなんですけど?手足の長さも体格も体重も、なんならライディングスキルも引き出しの数もヒトそれぞれですが?
そしたらもう本場に渡ってあちらの空気を吸う "しかない?"・・・とも思わないんですけどね。COVID-19のせいで当分はこれまで通りの往来も難しいでしょうし。目に見えないものを探して、考えを深めながら、なんとか前進するしかないでしょう。はやく春にならないかなぁ。広い意味で。
ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!