ただし37年前、"GNC黄金期"の始まり = 1983年?のテスト風景でーす。
WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターでYouTuberへの道を模索中???のハヤシです。満を持して?来シーズンのアメリカンフラットトラックシリーズでついにホンダが復活???いいえすいません、ご紹介するのは筆者ハヤシがまだ幼稚園児だった1983年ごろ撮影されたものなんです。ぐぐっと目を惹くキャッチーなコピーで動画再生数を稼ぐ?あざとさ満点スタイルで始めましたが、いやホント、見る価値大アリのプレミアムな映像ですよ。
競馬場や4輪兼用オーバル、ロデオアリーナなどが戦いの舞台となるダートトラックレース。競技の本場アメリカにあって、"レース会場" こそ各地にあれど、いつでも練習走行ができる常設のトラックは、昔も今も全土でわずか両手に数えるほどです。新型マシンや新しいセットアップを試すためには、大小さまざまの実戦で試す以外、 "レース会場" を別日に借り切って占有テストを行うしかありません。当然ながらレース以外での映像記録、それもファクトリーチームの非公開テスト走行の模様など、プロモーションが主目的でない限り、レースファンが目にする機会はまずないでしょう。
映像の舞台となる "アスコット・レースウェイ" は、カリフォルニア州ロサンジェルス郡サウスベイ地区のガーデナ市で1957年オープン。急速な宅地化により1990年トラック閉鎖へ追い込まれるまでの33年間、「北米大陸最速の常設ハーフマイル」として、アメリカンモータースポーツ界に知らぬ者のなかった伝説的レーストラックです。当地ではオーバルトラックの2輪ダートトラックレースのみならず、インフィールドを併用したTTスクランブル、ストックカー・ミジェットカーなどの4輪オーバルレース、8の字レイアウトでのフィギュア8、デモリションダービーなど、様々なカテゴリーの興行が毎週のように開催され、7,500の観客席は多くの観客の熱い声援に包まれていました。
此処のトラックレイアウトは上空からの写真で確認できますが、基本的に2輪ダートトラックの "オーバルレース" 用途では、外周部のハーフマイルトラックが使用されました。ところが本日の映像では、普段運用されることのなかったインフィールド・オーバル = 400m級ショートトラックを使ったテスト走行が行われます。路面コンディションが万全とは言えないラフトラックで、おそらくこの年に初めて招集され、以降1988年の活動終了までハーレーダビッドソンと苛烈な戦いを演じた、アメリカンホンダ・ファクトリーの初期メンバー三者三様の走りを、つぶさに観察することができます。
さんざんもったいつけましたけどボチボチご開帳しましょうね。贅沢な7分半ほどの映像です。
リッキーG!ババ!ダグ・チャンドラー!本場アメリカンも思わず大興奮!
今回のチョー貴重なシークエンスを自らビデオにおさめ、数十年を経て今日我々にご提供くださった・・・つまりこの日の現場に実際立ち会っていた松澤正和氏によれば、撮影は1983年とのことで、このテストのすぐあとの週末には、オーバル戦とTT戦のダブルヘッダーが控えていたそうです。
アメリカンホンダおなじみの赤トリコロールレザースを纏うダグ・チャンドラー、白ジャージのババ・ショバート、オートレースみたいなヨロイで青ジャージ髭モジャ (!) のリッキー・グラハムの3人組が、正式にファクトリー契約で走るのは1984年シーズンからのはずなので・・・これまで世に出ることの一度もなかった "完全未公開シーン" ってことになりますね。
数日前、とあるSNSの "故リッキー・グラハム・メモリアルファンページ" コミュニティで、アメリカ人たちにこの映像を紹介したんですが、当然ながら本場の人たちも見たことがないわけですよね。もうね、ややこっちが引くくらい盛り上がってましたよ。ババ本人もだいぶ懐かしんでくれました。
1981年に引退しアメリカンホンダのマネジャーに就任した、名選手ジーン・ロメロの提案も踏まえて選ばれた、 "ドリームチーム" 3人のライダーは、絶妙にバランスの取れた、個性豊かな面々です。
1982年にハーレーダビッドソンXR750を駆り、全米タイトルを1度獲得したエース格のリッキー・グラハム、プロデビュー翌年の1982年と1983年にサンディー・レイニー (ウェインの父) のチューンしたXR750で好成績を示した "ババ" ことドン・ウェイン・ショバート、1983年プロデビューの若手でのちに史上4人目にして現状最後のAMAグランドスラム・ライダーとなったダグ・チャンドラー。
映像ではこの3人が、ホンダ・トリコロールに塗り分けられた、2ストローク250cc車と4ストローク500cc車を交互に比較する様子、それぞれのライディングスタイルとラフトラックへのアプローチの違いをご覧いただくことができるでしょう。抜きつ抜かれつの手に汗握る競技中の雰囲気ではない、求道的な個々の走りにフォーカスしているという意味でも、極めて珍しい資料となっています。
時代は2ストローク250ccから4ストローク500ccへ。"RS500D" が新登場!
こちらは映像中に登場するものと近しいスペックの2ストロークマシン。名チューナー、ジェリー・グリフィスが1982年ごろに製作した、ホンダCR250Rダートトラッカーです。
高出力水冷2ストロークでドライブチェーンが右側にレイアウトされているのが特徴の、1980年新発売の "レッド・ロケット" エンジンを、C&J製クロモリフレームに搭載した車両で、レース専用の構成のためシフトペダルはリンケージを介して車体右側に移設、リアブレーキペダルと併置されています。この車両では1983年7月7日イリノイ州ヒンズデール、サンタ・フェ・レースウェイでのショートトラック戦でダグ・チャンドラー (プロクラスデビューイヤーなので地方ナンバーの8Y) が勝利し、彼にナショナルナンバー10をもたらしました。
一般に "RS600D" という呼称で名機として知られるホンダ製単気筒ダートトラックレーシングエンジンですが、レギュレーション上はオーバル戦では500ccが上限、TT戦のみ600ccでの出場が認められていたため、このテストの場面では "RS500D" が妥当な呼び名ということになるでしょう。
1983年は2ストローク250ccマシンがGNC: 全米プロダートトラック選手権に参加できた最後のシーズンだそうで、翌年からはROTAXとホンダの4ストローク500ccがショートトラックとTTでの主力車種となっていきます。"プロトタイプRS" と軽量高出力でシフトチェンジも駆使する2ストローク車を比較するこの風景、時代のバトンが確かに受け渡される、まさにその瞬間だったと言えるでしょう。
いかがでしたか?このスポーツを実体験としてご存知の方、今まさに深く楽しんでいる方たちは、ちょっとだいぶ偉そうですけど、何度も何度も見返したほうが良さそうな気がしますよ。教科書的に?
この日のアスコットでの非公開テスト、実はまだ筆者も未見なんですが、後半にはTTレイアウトでの走行もあるらしく、そちらはあの伝説ともなった異種格闘技系イベントレース "ABCスーパーバイカーズ" 仕様のスペシャルマシン、2ストローク500ccマシンでのファクトリーライダーたちのテスト風景も拝めるとか? いやー楽しみです。ご興味ありの読者の皆さん、どうぞご期待くださいね。
ではまた金曜日の "Flat Track Friday!!" でお目にかかりましょう!