WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。冒頭から創作昔話で始まった今週の"Flat Track Friday!!"、一限目の本日はアメリカ発祥と言われるダートトラックレースの成り立ちと発展の過程について、お話してみたいと思います。長くなりますよw
二台目のモーターサイクルが世に出たその時に二輪レースの歴史は始まった?
モーターサイクルの創成期、林立するメイカー間の苛烈な開発競争は当然だったでしょうし、新しいマシンを手に入れたライダーは、より速く、より遠くを目指すなかで、他のライダーたちとのライバル関係を、スピードスポーツでの決着という形に昇華していった者も多かったはずです。
「町の大通りのこっちからあっちまで競争」がドラッグレースに、「あの山のてっぺんまで速く登る競争」がヒルクライムに、「となり町まで野を超え山を越えてクロスカントリー競争」がモトクロス=モーターサイクルクロスカントリーに、「ロデオ大会で使う町の広場や競馬場を100周する競争」がダートトラックレースとなってそれぞれ発展していったことは想像に難くありません。
すべての道はかつて未舗装路だった
唐突ですが、ここで話題は"WRC: 世界ラリー選手権"を頂点とした四輪ラリーに移ります。ラリーの世界では昔からフィンランド人ドライバーが、特にグラベルラリーで大活躍し、"トップでフィニッシュ(finish = ゴール)するためには、最高のフィニッシュ(Finnish = フィンランド人)であることが条件だ"と言われるほどです。
それはなぜでしょうか?北極圏に近く、冬の凍結路でのドライビングが当たり前だから?諸説ありますが、最も有力なのは、フィンランド国内の道路総延長のうち、およそ77パーセントがいまだに土系舗装路(いわゆるグラベル)で、その比率は西欧諸国のなかでもずば抜けて高く、自動車免許保有者のほとんどが、ファミリーカーでの日常的な運転の中で、未舗装路におけるサイドブレーキターンやカウンターステア走法を「特別なことだとは考えていない」というお国柄と、環境問題に非常に関心の高い同国で、日本のような全国隅々までの舗装路化がまったく推進されないことなどが、現在まで多くの強いレーシングドライバーを育んでいる、という説です。
筆者は学生時代、フィンランドを長く旅した経験があります。同国中部、まさにラリー・フィンランドが開催される"1000湖地方"では、主要幹線道路や町のメインストリートを除くほぼすべての道が、土系舗装路でした。良く晴れた夏の暑い日には散水車が、さらに雨上がりにはモーターグレーダーやロードローラーが登場し、路面を平滑で一定の保水性 = グリップを保ち、交通に支障のないよう常に整備がなされていました。その手法と様子は今にして思えば、我々が現在取り組んでいるダートトラックレーシングでのトラックプレパレーション = 路面維持と全くおなじ光景だったのです。
オーバルレーシングは競争種目の究極形態のひとつ!
「左にばかり曲がってて、飽きないの・・・?」
スポーツライディングとしてのダートトラックに長く携わっている人は、さまざまな機会に、周囲からこう問いかけられたことがあるはずですが、それに対する筆者の個人的な回答は、沢尻スタイルで「いや別に・・・」です。先ごろ閉幕した冬季オリンピック種目のスピードスケート/ショートトラック、あるいは陸上競技のトラック種目、自転車のケイリン、競艇、これらはすべて、反時計回りのオーバルトラックでのタイムトライアル、あるいは他者との競争です。どのカテゴリの関係者に同じ問いかけをしても、それが競技として白黒決着をつけるための、単純明快で公正なルールである以上、左右均等に曲がらなければならないとは考えた事もない、という返答が返ってくるはずです。
国際陸上競技連盟では、今から100年以上前の1913年から、トラック種目に関して「レフトハンド・インサイド = 左回り」と国際ルールで定めています。その根拠は、よく言われる心臓の位置、ということより、人間は利き足が右のほうが圧倒的に多いため、右足の大地を蹴る力がより強く、左に回り込む周回のほうが人間工学的に自然、という説が最も有力です。野球のベースランニングの方向などにもそれが現れているのかもしれません。
モータースポーツにおいてのオーバルレーシングは、観客に対して勝敗とレース展開が明快に伝わりやすく、競技としての公平性や極めて単純化されたルールの上で、「複雑で重層的な人間ドラマ」と「手に汗握るサイドバイサイドの攻防」を楽しめることこそが、一番の魅力です。
国土の広いアメリカでは、どの町や郡にもロデオ大会や家畜の競り・季節毎の祭事に使われる広場や、各種四輪レース用のオーバルコース、そして各地方ごとに独立して運営される競馬場など、時に二輪ダートトラックレースに転用して使用可能な会場が、さまざまな規模で存在しています。また路面を整備するための重機車両や農耕機械の充実度も、平地の少ない我が国とは全くケタが違います。
多目的に使えるロデオアリーナのような施設が少なく、四輪オーバルレース文化がほぼ存在せず、競馬場は英国式のグラストラック(芝コース)が主流の日本では、実は3/8マイル(600m)以上の高速レーストラックをモーターサイクルレースのためだけに用意するのは、容易なことではないのです。まして二輪車は四輪以上に不安定な乗り物ですから、そのいずれかを使用可能であったとしても、スポーツをするのに十分安全で平滑な路面を作りあげるまでは、文字通り平坦な道のりではありません。
日本でのダートトラック~その歴史と将来の発展可能性~
皆さんは日本で最初のダートトラックレースは、いつごろに行われたと思いますか?筆者調べでは、今をさかのぼること100余年前の1910年ごろ、東京・上野で開かれた勧業博覧会の会場?で、自転車競技の余興・エキシビジョンとして、不忍池を周回するダートトラック形態のモーターサイクルレースが、すでに行われていたという記録が最古のものです。
ダートトラックと出自を同じくする公営競技・オートレースは、かつて各地のトラックが未舗装路だった時代もありますが、事故が続いたため舗装化が進み、車両もまったく別の形態に変化しました。
その後は80年代のホンダFTR250の発売、90年代〜2000年代初頭までのいわゆるストリートトラッカーブームなど、いくつかのゆるやかな盛り上がりがありましたが、爆発的な大流行に至ることはありませんでした。しかしかえってそのおかげもあって、小規模だったダートトラックコミュニティは、流行り廃りの波に大きく影響されることもなく、アメリカ発祥の単純明快なエクストリームスポーツカルチャーとして、あるいは家族で楽しむモータースポーツレジャーとして、またストリートファッションやカスタムメイドMC、それらにまつわるライフスタイルのあり方を表現するものとして、今なおさまざまな可能性を秘めて、皆さんの前に静かに広がっていると言えるでしょう。
次週からはいよいよ、実際のスポーツの仕組みやマシンの紹介などに入っていきます。拙文をチェックしてくださる大先輩に「作文長い」と言われてますので次回からはビジュアル多め、文章あっさりめでお届けしようと考えています。ではまた次週金曜の"Flat Track Friday!!"でお会いしましょう!