昔のバイクには、ギアボックスもクラッチもなかった!?
1907年に始まったマン島TTですが、当初から今日使われているマウンテンコースが使用されていたわけではありません。20世紀初頭のモーターサイクルはギアボックス(変速機)もなければクラッチもナシ。後輪の駆動は革ベルトが当たり前でした。下の白黒写真は第1回TTの単気筒クラスに優勝したマチレスに乗るチャーリー・コリアーです。
出典:http://www.matchlesslondon.com/
黎明期のTTマシン
そしてこちらの白黒写真は、同じく第1回TTの2気筒クラス勝者のレム・ファウラーのノートン(仏プジョーエンジン)です。今のモーターサイクルを見慣れた人には、自転車にエンジンを載せただけの乗り物に思えるでしょう。
最初のマン島TTは「セント・ジョンズ・ショートコース」という25.51 kmのサーキットで開催されました。その後もチョコチョコ距離を変えてマン島TTは毎年開催されたのですが、1911年から現在のマウンテンコースでのレースが繰り広げられることになりました(正確には、1920年、1947年、そして2000年にそれぞれチョコっと変わっています)。
(当時)世界最速のインディアン
しかし、記念すべきマウンテンコース初の大会で勝利したのは、初の外国製車(※英国から見て)であるアメリカのインディアンでした。しかも1-2-3フィニッシュという完勝ぶり。後輪チェーン駆動、2速ギアボックスという"新技術"と、高い信頼性と高性能がインディアンVツインの武器だったのです。
ちなみに、このとき2位に入ったアイルランド出身のチャールズ・フランクリンはインディアンの設計者となり、同ブランドを代表するスカウト、チーフ、そしてスカウト101という名車をデザインし、インディアン中興の祖となりました。
この翌年の1912年から、シリンダーの数に関係なく排気量350ccまで、そして500ccまでという、その後長年続く排気量区分のクラス分けが施行されます。これは大排気量で高性能なインディアンを追放する意図を含むルールとも言われていましたが・・・果たして真相はいかに? もっとも、自国勢に優位なルールを主催者が施行するのは、古今東西珍しいことでもありませんけどね(笑)。
ともあれ、インディアンとしてはTT優勝という実績以上に、フランクリンという極めて優秀な「頭脳」を手にいれることができたのが、1911年のマン島で手に入れた最高のお土産だったのかもしれません。なお欧州が最初の世界大戦に突入したため、1914年から1920年までマン島TTは中断されることになりました。
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