ロレンス編集部
ミスターカワサキ伝説「清原明彦」@『RIDE16-19』
昭和36年、兵庫県明石にある川崎航空機工業にひとりのとんでもないうワルガキが入社してきた。その男の名は清原明彦(きよはら あきひこ)。後に「ミスター・カワサキ」と呼ばれる男である。
©東本昌平先生/種子島経/モーターマガジン社
1961年(昭和36)、カワサキの社員として入社した清原明彦氏。
テストライダーとして、Z1/Z2の開発に携わると同時に、プロライダーとして世界GPを始め、さまざまなレースで活躍した男。
カワサキファンは、清原氏を敬意を込めてこう呼びます。
ミスター・カワサキ
1961年:
川崎航空機工業株式会社(現:川崎重工業株式会社)入社
1964年:
開発テストライダーに
...
ロレンス編集部
ノリックの記憶...阿部典史という天才ライダー 後編 @『RIDE 18』
●あべのりふみ 1975年9月7日 東京都出身 オートレーサーである光雄氏を父に持ち、5歳からバイクに乗り始める。ポケバイ、ミニバイクとステップアップし、15歳でダートトラック修行のために半年間渡米。帰国後にロードレースに本格デビューすると、2年後の93年には、当時の全日本選手権最高クラスであるGP500クラスの市場最年少チャンピオンに輝く。94年より世界グランプリGP500クラスに参戦し、05年に世界スーパーバイク選手権へ。07年から全日本に活動の舞台を移し、最終戦を前にランキング3位という位置にいながら不慮の事故で逝去、享年32歳だった。
ロレンス編集部
ノリックの記憶...阿部典史という天才ライダー 前編 @『RIDE 18』
●あべのりふみ 1975年9月7日 東京都出身 オートレーサーである光雄氏を父に持ち、5歳からバイクに乗り始める。ポケバイ、ミニバイクとステップアップし、15歳でダートトラック修行のために半年間渡米。帰国後にロードレースに本格デビューすると、2年後の93年には、当時の全日本選手権最高クラスであるGP500クラスの市場最年少チャンピオンに輝く。94年より世界グランプリGP500クラスに参戦し、05年に世界スーパーバイク選手権へ。07年から全日本に活動の舞台を移し、最終戦を前にランキング3位という位置にいながら不慮の事故で逝去、享年32歳だった。
ロレンス編集部
時代を先取りした、栄光なきマスターピース YAMAHA SDR - 『BLUE HEART ROCKET BOY ON RED ROSE SPEEDWAY』@『RIDE 16-17』
以前、酒席を抜け出し、その場にいたホステスとともに唐突に日常をドロップアウトしてしまった男の話を紹介した。RIDE 16-17に掲載されている『B.O.R.(BLUE HEART ROCKET BOY ON RED ROSE SPEEDWAY)』という作品である。
©東本昌平先生/モーターマガジン社
30歳を前に日常を振り捨ててゆきずりの女との逃避行をした、男の”気分”とは - 『BLUE HEART ROCKET BOY ON RED ROSE SPEEDWAY』(モーターマガジン社 / RIDERより) - LAWRENCE(ロレンス) - Motorcycle x Cars + α...