F750からスーパーバイクへ・・・
結局ヤマハの1972年からの連勝をストップしたのは、「ルール改正」でした。1970年代後半から、フォーミュラ・ヤマハ化により人気がなくなった200マイルに代わり、人々の興味の中心は公道車に近い形態を残した量産車改造の「スーパーバイク」に移っていました。そこで1985年からはスーパーバイククラスが200マイルに採用されることになるのです。
ローカルレースとなっても、変わらない特別な一戦の価値
お気付きかもしれませんが、上にあげた写真に映るライダーはいずれも、最高峰世界GP500ccクラスの王者に輝きました。1980年代は「アメリカン・インベイション」の時代・・・コンチネンタルサーカスはアメリカンライダーの侵略に抗えなかったディケード=10年間でした。ゆえにアメリカ最大のロードレースを制したデイトナ200マイルウィナーに対する世界の注目は、当時非常に高くなっていたといえるでしょう。
しかし1990年代に入ってから、デイトナ200マイルウィナーで、世界GP最高峰クラスの王者になったのは、2002年ウィナーのニッキー・ヘイデンのみです。1990年代からはスコット・ラッセル、ミゲール・デュハメル、マット・ムラディンらの米AMA専門ライダーがデイトナ200マイルを支配するようになり、1972年以前同様の「アメリカン・ローカルレース」風に変質していくことになるのです。
2005年からデイトナ200はAMA Formula Xtremeに変更、2009年からはデイトナ・スポーツバイクの規定に変更され、ますますAMAローカルレースっぽくなっていきます。日本でのデイトナ200マイルに関する報道量は1990年代になって極端に減少しましたが、英国人がマン島に、日本人が鈴鹿8耐に、フランス人がボルドールにそれぞれ熱狂するように、デイトナ200マイルはいつの時代も、アメリカのロードレースファンにとっては、特別なレースであることに変わりはないのです。(完)