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規模は小さいものの、絶えることなく続いた2輪EV追及の試み
19世紀末の黎明期から世界恐慌真っ只中の1930年あたりまで、2輪ICE車は目覚ましい性能向上を果たしています。20世紀に入ってすぐにICEは、2輪、3輪、4輪自動車の動力源だけでなく、船舶や列車や農機具、そして航空機の動力源としても大いに活用されました。
さまざまな分野へのICEの活用は、当然のようにICEの開発に関わる人材を増やすことになりました。その結果、ICE開発者たちの切磋琢磨によってICE発展の速度は加速。2輪の分野に関しては、1910年代にはすでに4ストロークエンジンでは気筒あたり4バルブや、DOHCなどのハイメカニズムが採用されていたのです。
一方1910年代には、ICE車に対して劣勢になっていたEV勢はその開発に携わる人の数が減少することになります。しかしそれでも、少ないながらもEVの可能性を信じる人たちは、地道に独自のEV作りに励んでいました。
戦時中の燃料事情から誕生したベルギーの"ソコベル"
第二次世界大戦初期、枢軸国のナチスドイツは瞬く間に欧州各国を占領しました。ドイツの西に位置するベルギーは1940年5月にドイツに降伏し、1945年2月に連合軍に解放されるまでの間、ドイツに占領されることになりました。
1942年3月には、ベルギー市民に対する基本的配給が廃止。以降、車両用の燃料は救急隊、バス会社、農家などの限られた対象のみに配られることになったのです。もっとも、配給があったころから燃料不足は深刻なもので、わずかな配給燃料のやりくりにベルギーの人たちは困り果てていました。
ベルギーのド・リムレット兄弟の兄でエンジニアであるモーリスは、1940年秋に自動車事故で入院しているとき、配給問題の対策となる電動バイクの構想をベッドの上で練っていました。兄モーリスが設計図を描き、弟でビジネスマンのアルベールが出資者や部品を製造する業者を探す・・・というコンビネーションにより、1941年1月には彼らの最初の電動バイク試作車が完成しました。
最初の試作車は、自転車よりも遅い!! というお粗末な性能でしたが、兄弟は改良を重ねることで納得できる性能を与えることに成功。10時間で充電可能な3個の6V・45Aバッテリーを、ACECまたはモエス製の1馬力に組み合わせることで、彼らの電動バイク・・・ソコベルは最高速25km/h、航続距離50kmをマーク。なお車重は、100kgにおさまっていました。
ナチスドイツ占領期だったこともあり、ソコベルの生産にはドイツ金融庁の許可が必要でしたが、無事500台の製造許可を取り付けることに成功。1941年6月に15台が組み立てられた時点で、ソコベルの市販が開始され、1942年には400台を販売することになりました。なおソコベルはサイドカー版も製造され、動力性能をアップさせるために12Vバッテリーと26馬力のモーターを採用しているのが特徴でした。
ナチスドイツも興味を示したソコベルでしたが・・・!?
1943年、電気だけで走るソコベルに興味を示したドイツ軍は、飛行場のサービス用途にソコベルを使おうとド・リムレットに大量発注をかけようとしました。しかし、兄弟はナチスドイツが大嫌いでした・・・。彼らはなんだかんだと時間稼ぎをすることで、結局第3帝国に1台もソコベルを納入しないというミッションに成功したのです(笑)。
そして終戦後、ド・リムレット兄弟はガソリンの配給制度がそのうちに終わることを見越して、ICE搭載車の開発計画をスタート。電動のソコベルは1948年に最後の1台が作られて、戦時下の燃料不足という時代の"足"の役目を終えることになりました。
戦後のソコベル製ICE搭載モデルは、ビリアース、CZ、ヤワ、マイコなど各メーカーのエンジンを使用していましたが、アルベールの死後の1956年、安価な4輪車の欧州での普及による2輪不況を鑑み、モーリスは2輪製造業者としての社の活動を終えることを決めました。
500+◯台・・・というのが初の量産2輪EVであるソコベルが、残した数字となります。現代の基準からすれば「限定車」と呼ぶのがふさわしい規模に思う方が多いでしょうが、電動車はおろかICE車もなかなか庶民の手に届かなかった時代に生み出されたことを考慮すれば、500という数字がいかに2輪EV史のなかで意味のあるものか・・・がご理解いただけると思います。