8月13日は、ロシア・ウラジオストクの博物館見学を楽しみましたが、2番目の訪問先は「自動車博物館」! 滅多に実物を見ることができないソ連時代の2&4などを間近にして、大コーフンしてしまいました!

ソ連時代の2&4の数々を、見ることができる博物館!

ムゼイ・アフトモトスタリニ=「ウラジオストク自動車博物館」は2002年にスタートした自動車博物館で、1920〜1970年のソ連および外国車のユニークなコレクションを見ることができます。一部の4輪車は車内に乗り込むことができるというのも、素晴らしいサービスと思いました。

画像: こちらが「ウラジオストク自動車博物館」のエントランス。装甲車と軍用トラック(ZiS-151 (1946-1950))が表に置いてあるのが、目印になっていました。市街地中心部からちょっと離れた、スターリン時代の1939年建設の建物が使われており、アマチュアの自動車クラブなどの協力で、コレクションを揃えることができたそうです。なお料金は大人200ルーブル(317.54円)でしたが、改定があるかもしれないので訪問前に各自チェックよろしくお願いします!

こちらが「ウラジオストク自動車博物館」のエントランス。装甲車と軍用トラック(ZiS-151 (1946-1950))が表に置いてあるのが、目印になっていました。市街地中心部からちょっと離れた、スターリン時代の1939年建設の建物が使われており、アマチュアの自動車クラブなどの協力で、コレクションを揃えることができたそうです。なお料金は大人200ルーブル(317.54円)でしたが、改定があるかもしれないので訪問前に各自チェックよろしくお願いします!

画像: 手前からモスクビッチ403(1962-1965年、4気筒1,360cc)、GAZ-M20 (1946-1958年、4気筒2,111cc)、GAZ-21M ボルガ(1962-1970年、4気筒2,432cc)。4輪車の展示台数はそんなに多くなく、レストアされているため歴史感? はちょっと薄れてはいますが、滅多に見ることができないソ連時代の車両を間近に観察できるのは、とてもありがたい機会に他ありません。

手前からモスクビッチ403(1962-1965年、4気筒1,360cc)、GAZ-M20 (1946-1958年、4気筒2,111cc)、GAZ-21M ボルガ(1962-1970年、4気筒2,432cc)。4輪車の展示台数はそんなに多くなく、レストアされているため歴史感? はちょっと薄れてはいますが、滅多に見ることができないソ連時代の車両を間近に観察できるのは、とてもありがたい機会に他ありません。

個人的に日本に持って帰りたくなったのが、こちらのSMZ S-3A (1958-1969)です。2人乗りのバブルカーで、エンジンはモーターサイクル用(Izh-49 )の346ccの単気筒。最高出力は10馬力です。後ろのパネルは、この車両が登場するロシアの人気コメディのものとのこと。その関係性は、「Mr.ビーン」と旧ミニみたいなカンジですかね?

画像: 軍事パレードなどでおなじみ? の、ZiS-110V (1946-1958年)。アメリカのパッカードの影響を受けた7人乗りのオープン式リムジンで、エンジンは8気筒6,007ccです! 個人的には、その前に置かれた3輪車と、ロシア版ローラースルーGOGO? が気になりました(笑)。

軍事パレードなどでおなじみ? の、ZiS-110V (1946-1958年)。アメリカのパッカードの影響を受けた7人乗りのオープン式リムジンで、エンジンは8気筒6,007ccです! 個人的には、その前に置かれた3輪車と、ロシア版ローラースルーGOGO? が気になりました(笑)。

2輪のコレクションは、目を見張るものがありました!

ウラジオストク自動車博物館の見ものといえば、ソ連製や外国製のモーターサイクル系のコレクション! といえるかもしれません。私も仕事柄、様々な国の自動車博物館をのぞいてきましたが、ソ連製の2輪車はやっぱりレアな展示物であり、それらがこれだけあるってのはスゴイです。

VP-150"ビャトカ"(1957-1961)は、ライセンス外のコピーで生産されたロシア製ベスパスクーターです。第二次世界大戦の戦勝国・敗戦国を問わず、戦後復興の足として求められた簡便な交通手段として需要がたかまったスクーターを自国生産する・・・という目的で誕生したモデルです。1957年から1979年の間、ビャトカの工場では改良をしつつ139万5,580台! のスクーターを生産したそうです。

こちらもビャトカ工場で作られたスクーター、B-150M ビャトカ(1966-1974年)です。エンジンは単気筒150ccで、最高出力は6馬力でした。1960年代末〜1970年代初頭っぽいファッションのマネキンがいい感じです。

ソ連の戦後の2輪車はドイツ車のコピーが多かったですが、こちらのK-55(1955-1958)もその系譜に入ります。ドイツのDKW RT125(2ストローク単気筒125cc)は世界中でそのコピーが作られた名機ですが、ソ連は1946年にM1Aの名でDKWコピーを生産。このK-55はその発展版ですが、リアスイングアームを備えている点が先進的でした。

画像: K-1B (1946-1951年)は、戦前のドイツ製ワンダラー98(ザックス製2ストローク98ccエンジン搭載)のコピー・・・というより、正確にはワンダラーそのもの、と言ってもいいかもしれません。というのも、ザクセン州ケムニッツにあったワンダラーのシェーナウ工場にあった図面と生産設備は、戦後賠償としてキエフに運ばれ、この地で安価な乗り物として製造されることになったのです。なお1946〜1949年の間、車体はキエフで作られ、エンジンは他の工場で生産されたものを調達していた、とのことです。

K-1B (1946-1951年)は、戦前のドイツ製ワンダラー98(ザックス製2ストローク98ccエンジン搭載)のコピー・・・というより、正確にはワンダラーそのもの、と言ってもいいかもしれません。というのも、ザクセン州ケムニッツにあったワンダラーのシェーナウ工場にあった図面と生産設備は、戦後賠償としてキエフに運ばれ、この地で安価な乗り物として製造されることになったのです。なお1946〜1949年の間、車体はキエフで作られ、エンジンは他の工場で生産されたものを調達していた、とのことです。

画像: 今回、ウラル・ロシア・ライドに参加したウラルのギアアップのご先祖様にご対面! M-72 (1941-1961年)は、 TIZ-AM600やPMZ-A750に代わる軍用サイドカーとして、1940年初頭から開発されたモデルです。ドイツ軍のBMW R71をサンプルとして入手し、モスクワのMMZ工場でそのコピー的なモデルであるM-72が製造されることになります。水平対向746ccで、最高出力は22馬力。駆動はもちろん? シャフトドライブでした。1941年春の試作車のテストを経て、当初M-72はスターリンモスクワ自動車工場(ZiS)で組み立てられることになりますが、戦争が激しくなると、戦時中は避難のため生産工場をいろいろ移すことになりました。

今回、ウラル・ロシア・ライドに参加したウラルのギアアップのご先祖様にご対面! M-72 (1941-1961年)は、 TIZ-AM600やPMZ-A750に代わる軍用サイドカーとして、1940年初頭から開発されたモデルです。ドイツ軍のBMW R71をサンプルとして入手し、モスクワのMMZ工場でそのコピー的なモデルであるM-72が製造されることになります。水平対向746ccで、最高出力は22馬力。駆動はもちろん? シャフトドライブでした。1941年春の試作車のテストを経て、当初M-72はスターリンモスクワ自動車工場(ZiS)で組み立てられることになりますが、戦争が激しくなると、戦時中は避難のため生産工場をいろいろ移すことになりました。

こちらはウラル・エンスージャスト垂涎? の M-72のマニュアルです。中身を見たかったなぁ・・・(嘆息)。なお戦後の1961年までM-72は活躍することになりましたが、その後M-72のフレームとエンジンを使用して新型M-63が誕生し、今日のウラルサイドカーに至る流れが始まることになるのです。

ちょっとウラジオストク自動車博物館の2輪コレクションの充実ぶりは、1回の記事では紹介しきれないので、この稿続く・・・とさせていただきます。ご期待ください!?(続く)

※続きは、下記のリンクになります。

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