1962、1964、1966年と、3度世界ロードレースGP125ccクラス王者に輝いたスイスの英雄、ルイジ・タベリが先日亡くなりました。そのタイトルはいずれもホンダで獲得したものであり、タベリは1960年代の第1期ホンダGPファクトリー活動期の栄光を支えた人物のひとりでした。

小排気量のスペシャリストとして活躍

1929年に生まれたタベリが、初めて世界ロードレースGP(現MotoGP)に参戦したのは、1954年の第1戦、ノートンマンクスに乗ってのフランスGPの500ccクラスでした。その翌年の1955年にはMVアグスタに乗り、初戦のフランスGP125ccクラスでキャリア初の優勝を記録しています。

1950年代にMVのほかドゥカティ、MZのライダーとしても活躍したタベリの才能が一気に開花したのは1961年にホンダチームの一員になってからでした。同年は125ccクラスで2勝。翌1962年には空冷4ストローク並列2気筒DOHC4バルブのRC145に乗り、6勝を記録して初のGPタイトルを獲得しました。

1962年のダッチTT125ccクラス、EMCに乗るマイク・ヘイルウッドの前を走るL.タベリ。このレースでタベリは、このシーズンの6連勝の2勝目を記録しています。

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1960年代のグランプリの小排気量(50、125cc)クラスは、スズキやヤマハなどの2ストロークマシンの台頭が著しく、4ストロークメーカーだった当時のホンダは、マルチシリンダー化による高回転・高出力という手法で、ライバルに対抗していました。

1964年にタベリは、4ストローク並列4気筒DOHC4バルブの4RC146に乗り、優勝5回・2位5回という安定した成績で2度目の125ccタイトルを獲得。1966年には、ついに5気筒!! となったRC149で3度目の125ccタイトルを手中におさめています。

GP6階級でポイントを獲得した、唯一のレジェンドライダー!

残念ながらタベリは、1962年からスタートした50ccクラスでは、タイトルを獲得することができませんでした。フリクションの少なさなど2ストロークのメリットが最大限に発揮されるこのクラスでは、スズキの2ストローク50ccマシンが強さを発揮し、ホンダの4ストロークマシンは雌伏を強いられることが多かったのです。

画像: 1964年、クライドラー50に乗るL.タベリ。西ドイツのモペッドメーカーのクライドラーは、販売戦略を意識してスイス人のタベリやイタリア人のタルキニオ・プロビーニを起用しましたが、手動3段+足動4段の12段変速という複雑な変速機を彼らは上手く扱うことができなかったのが実情でした。 www.metzeler.com

1964年、クライドラー50に乗るL.タベリ。西ドイツのモペッドメーカーのクライドラーは、販売戦略を意識してスイス人のタベリやイタリア人のタルキニオ・プロビーニを起用しましたが、手動3段+足動4段の12段変速という複雑な変速機を彼らは上手く扱うことができなかったのが実情でした。

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1966年、50ccクラスのタイトルにタベリは肉薄しましたが、このときは実力以外の要素でタイトルを逃す結果に終わりました。過去3回日本GPを開催した鈴鹿サーキットから、この年のシーズン最終戦の日本GPは富士スピードウェイに舞台を移しました。ホンダチームは当時の富士スピードウェイにあった「30度バンク」の安全性に対するクレームでボイコットを決定。そのため欠場を強いられたタベリは、最後の50ccタイトル獲得のチャンスを失ってしまいました。

幸いにも私は、2000年にスイスのL.タベリ邸を訪問し、氏の案内でスイスを観光したり、氏の邸宅に泊めてもらった経験があります。ホンダで過ごしたGP現役時代の思い出話などを面白おかしく話してくれたりなど、気さくで紳士的な人柄に感銘を覚えたものです。

通算30勝をグランプリで記録した「小さな巨人」であるL.タベリ・・・安らかにお休みください。なおL.タベリは50cc、125cc、250cc、350cc、500ccのソロクラスとサイドカークラス、合計6つのグランプリの階級でポイントを獲得した唯一の人物でもあります。

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