Kawasakiのバイクを語る上で、欠かせない存在である空冷Z。そんなZの開発物語を、当時の開発担当者の話を交えて迫っていきたいと思います。続いては、エンジン開発陣の苦闘のお話。
【稲村暁一さん】Z1からZZR1100まで、ほとんど全てのカワサキ4サイクル車を開発設計。Z1・Z2に関しては主にエンジンを担当。
【井上隆至さん】Z1/Z2の動弁系、クランク等の開発、Z400のエンジン設計を担当。
【大槻さん】当時の稲村さんの上司。あだ名はHP。
【荒木徹さん】1000に移行する辺りからZに携わる。技術総括部プロジェクト室主幹。

タイヤ、チェーン、ブレーキ…全てがZ1と共に進化しなければならなかった

画像: (オートバイ Classics©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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荒木「僕らが自動二輪試験場で乗らされたのはメグロの右チェンジの350の単気筒。曲がらないんですよ。足を地面につける様にしてやっと曲がる。初めてZ1に乗った時は、いや〜っこんなに簡単に曲がる、大きいバイクなのに。それがわかりやすいバイクだなあと。当時のオートバイといったら、真っすぐ走るだけ、しかも低速で。そんな感じでしたから」Z1の魅力の一方の柱が先進メカニズムとすれば、もう一方の柱は流麗なスタイリングだろう。

稲村「デザインもいろいろ変遷がありました。アメリカにスタジオ作ってやったりしたんですが、あまり評価が良くなくてですね。結局、国内で多田君にやってもらったんですが、'71年3月にはほぼスタイルが固まりました。確か4月1日ですか、私、初めてアメリカ行きまして。その時、スタイリング部門と合流しましてAKM(アメリカ・カワサキ・モーター=KMCの前身)に公開した訳です」

開発の途中でのディスクブレーキの開発、チェーン開発、タイヤレンジ、そしてハンドリングなど、Z1の開発に合わせた、様々なパーツの開発が同時に要求され、ギリギリまでエンジニア達を悩みに悩みぬかせたのです。

そして、当時のバイクは、低速で真っ直ぐ走るだけのものといったイメージを覆す、先進メ
カニズムと、斬新でスタイリッシュなデザインのZ1が完成するのです。

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