キャノンボールと言うと、いま40〜50代くらいの人だと映画を思い出すかもしれません。若い人はキャノンボール? それなに? となるかもしれないけれども、チキチキマシン猛レースにも通じる、いわゆる「公道レース」のことです。
HondaのPRが発端となったBAJA1000の始まり
1960年代なかば。カリフォルニアでドイツのNSUというバイクを輸入販売していた、バド・イーキンスという青年がとある日本製のバイクに目をつけます。Honda Dream CL72というスクランブラー(今でいうオフロードバイク)でした。バド・イーキンスは、1963年に公開された「大脱走」で、スティーブ・マックイーンのスタントを吹き替えたライダーとしても有名です。
残念ながら、当時の日本製品のアメリカでの評価は決して芳しいものではありませんでした。すぐ壊れる、安っぽい、性能が悪い……驚くことに、それが当時の常識だったのです。実際、粗悪な製品も多くあったのでしょう。
この世代間ギャップは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のなかでもジョークとして出てきます。1950年代のドクが、「こんな小さい部品の故障が大問題につながるとは…(MADE IN JAPANの刻印を見て)道理で壊れるわけだ。日本製だとさ」と言い、1985年から来たマーティが「日本の製品はみんな最高だよ」と言うと、ドクが「信じられない……」というシーンですね。
そうだ、冒険をしよう!
しかし、このHonda CL72というバイクはじつに素晴らしい。どうしたら、このバイクをPRできるだろうか? と考えたイーキンスは、当時は未開の荒野だったバハカリフォルニア半島に目を付けます。ロサンゼルスから300kmほど南から始まる、メキシコの半島です。
この半島を縦断して、その所要時間記録を打ち立てようと考えます。販売店の権利の問題でバドはこの冒険にライダーとして参加することは諦めますが、弟のデイブ・イーキンスと、ハリウッド・ホンダのオーナーであったビル・ロバートソン・ジュニアがこの冒険に挑むことになりました。
当時のバハカリフォルニア半島は、まだ南北を貫く国道1号線を建設中で、ほぼ自然のままの砂漠の大地でした。
この半島の北端の街、ティファナの電話局でスタート時に電報を送る。そして、1000マイル(約1600km)南の街、ラパスの電話局で電報を送る。こうすることで、縦断に要した時間を証明し、記録を作ろうと思ったわけです。
そして、レースへ
この過酷な挑戦は、しかし無事にフィニッシュ。飛行機のサポートを受けながら行ったこの冒険で、デイブ・イーキンスは44時間ほどで半島を縦断することに成功。途中マシントラブルでやや遅れたものの、ビルも無事フィニッシュしました。
この冒険が雑誌で取り上げられると、次々に同じ冒険に挑戦するライダーやドライバーたちが現れ始めました。その結果、1967年に始まったのが「メキシカン1000ラリー」。今のBAJA1000です。ティファナからラパスまで、ヨーイ、ドン! で走る世界最長のスプリントレースです。
現在のバハカリフォルニアは開発が進み、都市部では自由に走ることが難しくなってきています。しかし、それでも半島北部をスタートし、南部の街まで一気に競争するスプリントレースであること、コースには公道を含むバハの生活道路が使われていることは1967年から変わりません。
50年の歴史の間で、このレースから様々なスターが生まれ、様々な名車が生まれました。マルコム・スミス、ラリー・ローズラー、ジョニー・キャンベル、ダニー・ハメル、カート・カッセリ、カワサキKX500、Honda XR600R、Honda CRF450X……過去に人気の高かったXLR250Bajaもこのレースが由来です。
日本人ライダーでは、1986年に初めて、世界的冒険家である風間深志が参戦し完走。日本でも有名になったBAJA1000には多くの日本人ライダーが参加するようになり、1990年代初頭には50チームもの日本人チームが参加していました。以降、年々参加者は減少傾向にありますが、しかし5回も10回も参戦している猛者たちが多くいるほど、このレースは愛されているのです。
BAJA1000とは
BAJA1000は、危険なレースです。一応クローズされているとはいえ、一般車両が入ってくる可能性のある生活道路をコースマーカーを頼りにすっ飛ばしていくレースです。その路面はじつに様々。時速160kmで走れるダートロードから、岩だらけのガレ場、川底を走るウオッシュ、フカフカのサンド、サボテンに囲まれたワインディング、そして、誰もが恐れるシルト(小麦のような粉状の土の区間)……。
後方からは、最高時速300km以上と言われるトロフィートラック、バギーなどの4輪勢が迫ってきます。彼らに抜かれるときの恐怖は、体験したことがない人にはわからないでしょう。
東京から熊本に匹敵する距離を一気に走るこのオフロードレースを、トップチームは約16時間で走ります。そう、平均時速は100kmを超えるのです。彼らを追うサポートチームは、交代用のライダーを乗せたサポートカーで舗装路を突っ走ります。数百人が半島の北から南まで一気に下っていくそのキャラバンはじつに壮大です。
記念Tシャツつくりました!
僕は、このレースに1990年にサポートとして初参加してから、以来10回にわたってライダーとして参戦してきました。当初は「人生で一度だけ」と思っていたのですが、一度走ってその魅力に触れたらはまってしまいました。レースだけでなく、ツアーの取材などでも同行。すでに回数は20回を超えています。
それだけ素晴らしいBAJA1000を、バハカリフォルニアをもっと知って欲しい! と想い、また、僕と同じようにBAJAを愛するライダーたちのために、雑誌「rider」vol.10(発売中)では付録としてこのバハカリフォルニアのイラストマップ・カレンダーを付録にしました。
すると、「このイラストでTシャツを作っては?」という声があったため、デザインし、発売することにしました!
受注販売制なので、2月中で予約を受け、3月に発送するというスタイルですが、おかげさまで好評です。もしロレンスをご覧になっている方でBAJA1000が好き、バハカリフォルニアが好き! という方がいたらぜひ! と想い今回の記事をアップしました。ぜひ、本誌 riderともどもご注目いただければ幸いです! お求めは下記のリンクからどうぞ。