画像: 2015年のBAJA1000に向かう途中のロサンゼルス郊外で

2015年のBAJA1000に向かう途中のロサンゼルス郊外で

風間深志を知っていますか

日本を代表する冒険家の1人である風間深志。もともと雑誌オートバイの編集部員だった彼は、モーターマガジン社を退社した後の1980年にバイクでキリマンジャロに登攀。1982年には日本人として初めて、第4回パリダカールラリーに参戦、クラス6位、2輪総合18位で完走。
以降、やはり日本人として初めてBAJA1000に参戦。また1984、5年にはエベレストにバイクで登攀するチャレンジを行いバイクでの高度6005mという記録を樹立。
さらに、1987年にはバイクでの北極点到達を果たし、1992年にはバイクでの南極点への到達も果たしています。

以下の番組の8:00くらいから彼のエベレスト登頂からの冒険について放映されています

画像: Shinji Kazama 風間深志 テレビ東京「この日本人がスゴいらしい。BRAND NEW JAPAN」2010/11/19 youtu.be

Shinji Kazama 風間深志 テレビ東京「この日本人がスゴいらしい。BRAND NEW JAPAN」2010/11/19

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冒険家の背中を見て育ってきた息子

その「凄い」オヤジの背中を見て育ってきた風間の三男、晋之介。幼少期にモトクロスを始めた彼はIAのモトクロスライダーとなり、高校時代にはアメリカ留学も。モトクロス現役引退後は俳優を目指し、ドラマ「HIGH AND LOW」にも出演するほどまでに成長しました。
その晋之介が、子供の頃から思っていたことが「いつかオヤジとオヤジの原点であるパリダカを走りたい」ということでした。

しかし、日々の仕事も忙しくなかなかその夢に手が掛けられずにいた2014年頃、オヤジの年齢を考えると「このままでは夢が夢のままで終わってしまうかもしれない」と夢の決意に向けて動き始めます。

そして2015年にはこの挑戦の第一歩として2015 BAJA1000に参戦。65歳の風間深志、32歳の晋之介とサポートライダーで組んで参戦。みごと完走を果たします。

本当は真っ先にダカールに出たかった。しかし、現在のダカールに参戦するためには、ラリーのスキルが認められないとエントリーすら出来ない仕組みとなっているため、その資格を得るために2016年5月にはモロッコで行われたメルズーガラリーに参戦。リタイアの多かった過酷なラリーを無事完走、資格を得て2017年のダカールラリーに参戦することになりました。

親子2代の挑戦人生を応援しよう! 

この親子二代の挑戦は世界的にも話題を集め、映画「ダスト・トゥ・グローリー2」の出演者として要請され2016年BAJA1000にも参戦、完走。彼らのレースの模様は来年公開予定の同映画でしっかりと描かれることになりました。つまり「ハリウッドデビュー」となるわけです。

画像: Dust 2 Glory (Dust to Glory 2) www.youtube.com

Dust 2 Glory (Dust to Glory 2)

www.youtube.com

日本では著名で実績をもつ偉大な親と子供の共同での取り組みって、やっかみから批判する人もいますが、よく考えてみてください。BAJA1000の完走も、メルズーガラリーの参戦も、走っているときはたった1人。また、これらのレース、ラリーは短距離のレースとはことなり、ただ速ければ完走できるというものではありません。親の地盤と金を受け継いで有名になる世界の人とは異なり、実力がなければ何もできないのです。
モトクロスライダー時代に鍛えたライディングスキルと、おそらく親譲りの慎重さ。それを備えている晋之介だからこそ、初めての参戦にして完走できたのだと僕は思っています。実際、2015年のBAJA1000では僕も彼と2週間近く同じ時間を過ごし、また一緒に走ったわけですが、苦境でも笑っていられる大胆さ、慎重さ、冷静さはラリーストとして優れているライダーだと感じました。

「オヤジが昔追った夢を、オヤジと一緒に俺が果たしたい」
そんな素直な夢をもつ青年をぜひみんなにも応援してほしいと思います。

ダカールラリーは2017年1月2日から!

2017ダカールラリーに、風間晋之介はNo.118、ライダーとして参戦。親の風間深志はメカニック兼サポートとしてサポートトラックで参戦します。彼らの昔話をまじえつつ、速報を報告していく予定です。ぜひ下記のフェイスブックと平行でご注目いただければ!

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