1982年まで、日本の量産車にはカウリングも低いハンドルも許されていなかった。これらの規制が緩和されたのがレーサーレプリカの誕生を促したのである。そして1983年2月20日SUZUKIから発売された日本のレーサーレプリカ第1号RG250Г。そこから始まったレーサーレプリカブームの軌跡を辿っていきたいと思います。

市販レーサーのTZ250と同時進行で、
ワークスレーサーのエンジニアが開発に携わる

画像: (日本のバイク遺産 -レーサーレプリカ年代記-©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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1983年にスズキがRG250Гを、翌年にホンダがNS250Rを発売し、それぞれ大ヒットを記録する中、ヤマハはやや古めかしい装備のRZ250Rで苦戦を強いられていた。その起死回生の一打として1985年の11月に投入されたのが、ワークスレーサーYZR500のエンジニアが開発に参加した車名も新しいTZR250だ。その軽快で自由度の高いハンドリングと、力強く扱いやすいエンジン特性は高く評価され、SPレースでも圧倒的な強さを発揮した。

初心者にも扱いやすいだけでなく、プロダクションレースを席巻する戦闘力を備えたTZR250は純レーシングマシンであるTZ250の公道仕様として、オートバイメーカーから車両の支援を受けないプライベートライダーに愛用され、現在でもマニア心をくすぐる名車として存在感を示し続けている1台なのです。

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