カトリック教会が組織ぐるみで卑劣な性犯罪を隠蔽しているという、ショッキングなスクープを追うジャーナリストたちを描いた、実話ベースの力作。
神の名の下に隠匿されていた悪徳とは
第88回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞の6部門にノミネート。最終的に作品賞と脚本賞を受賞した佳作だ。
物語自体は非常に淡々と進むし、新聞社の記者たちになにか命の危険が及ぶわけでもない。多少の嫌がらせはあるものの、それほど緊迫した自体になるわけでもない。ちょうど時代背景が2001年であるため、全米を揺るがす大事件である9.11(アメリカ同時多発テロ事件)と重なり、スクープそのものの発表タイミングを失いかけるという、実話ベースならではのエピソードがあるくらいだ。
しかし、題材そのものは重い。本作によれば、カトリック神父の多くは精神年齢が12-3歳の者が多く、さらに全体の6%が小児性愛者であるという。その数字を裏付けるように、ボストンの教区の神父1500人中、ほぼ6%相当である87人に疑惑が見つかるのである。
年端もいかぬ子供(男児も女児も)に、性的な悪戯を行う神父の存在。そのおぞましさに、自らの信仰が揺らぐ記者たちの姿は、実際の記者たちの心模様そのものであったろう。当初は個々の神父の悪徳を暴くことを目標としていたグローブ紙は、徐々に神父たちを統括する枢機卿、さらにはその組織全体、つまりバチカン自体の隠蔽行為に対する告発へとターゲットを変えていく。
骨太・重厚な傑作
不正を暴くことを目指すジャーナリストの活躍を描いた作品は多いが、そのたいていは政府の不道徳なプロジェクトであったり、違法な金融事件である。今回は、上述したように、対象が聖職者の性犯罪であるだけに、身に危険が及ぶようなスリリングな展開はない。
ないのだが、逆にそれだけに記者たちの心に及ぶ、陰鬱なプレッシャーやストレスは非常に深く重いものがある。
題材的に、日本人には少しわかりづらく共感しづらいものかもしれないが、実は被害を受けた小児たちの多くは、そのトラウマのためか自殺や社会的なドロップアウトを選んでしまっているという事実もあり、その犯罪は決して軽いものではない。宗教的な影響力が強い、旧い街の事件でもあり、例えてみれば、京都で大きな寺院の不正を訴求するようなものである。
繰り返すが、物語自体は盛り上がりに欠ける作品ではあるが、非常に骨太でしっかりした社会派の映画であり、姿勢を正して見るに値する傑作である。