『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて1975年〜1985年の完結まで、多くの読者からの支持を集め、10年に渡り長期連載された『 750ライダー 』。
少年漫画としても、バイク漫画としても歴史に名を残した大ヒット長編バイク漫画がどのように生まれたのか・・・。この連載ではモーターマガジン社から出版されている「750ライダーファンブック」の記述を元に750ライダーの誕生までの経緯から、制作現場の裏事情をご紹介していきます。(akiko koda@ロレンス編集部)

前回までの記事はこちら
Vol.1石井いさみさんが“超売れっ子!”になるまで >
Vol.2石井さんの青春を取り巻いたクルマとバイクたち、バイクの意識が変わったエピソード >

『750ロック』誕生と編集部との確執

超売れっ子作家として駆け出し中の石井さん。
少年サンデーで連載を続けていたこと小学館は石井さんにとってまさに母体でした!そして73年、石井さんはその少年サンデーで『 750ロック 』を発表!!!
ですが、連載するにはちょっとした問題が…。

主人公がその都度変わり、1話ないし2話で完結するこの作品で共通するのは、重要なキャラクターであっても、作中人物が死んでしまうということだった。これは少年誌のオピニオンリーダーを自負する少年サンデーにとって、只事ではなかった。

コミックキャラクターのシリアスな死は、少年誌にとって重すぎたのだ。750ロックは思い出したように不定期に連載されたことからも、当の小学館では単行本化を行なわず、他の出版社が未収録作品と合体させて、単行本化することになってしまう。(文:船山 理)

画像1: 750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

石井さんは不満だったはずだ。そして『750ロック』こそが自分に託されたライフワークのひとつなのだと信じる気持ちは、今も変わらない。この作品群が、先に記した多摩川大橋の事故からインスパイアされたことは想像に難くない。
しかし「毎回、必ず人が死ぬ」という作品に、少年誌という立場から少年サンデーが大いに難色を示したことも、仕方のないことなのだろう。
『750ロック』に関して、石井さんはまだ描き切っていないと言う。そう、石井いさみという作家の中で、この作品が内包するテーマは、まだ完結していないのだ。まさにライフワークなのである。 (文:船山 理)

そして『750ライダー』へのスピンアウト

少年サンデーの『竜が斬る!』秋田書店の少年チャンピオンにも野球コミック『番長エース』を連載していた石井さん。その縁から、少年チャンピオンの編集長から、あるオファーを受けます。それが…

『750ロック』を学園ものにしてみませんか?

そう、人が死なない『750ロック』です。

石井さんは思うところがあって引き受けたのだが、当初は続いても7〜8回だと割り切っていた。ところが『750ライダー』というタイトルで開始されたこの作品は、この当時、少年マガジン、少年サンデーを、発売部数で抜き去る勢いだった少年チャンピオンで、ナンバーワンの人気をさらってしまう。必然的に『750ライダー』は少年チャンピオンの看板作品のひとつに君臨する。 (文:船山 理)

これが「750ライダー」の誕生の経緯だったのです!

画像2: 750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

石井さんにとって面目躍如の瞬間だった。当然のように少年サンデーからクレームがついたが、知ったことではない。言うまでもなく、アイディアを出した少年チャンピオンの編集者とそれに応えた石井さんの勝利に他ならないからだ。『750ライダー』という作品は、75年秋の連載開始から85年初春の終了まで、秋田書店での単行本で全50巻を数え、当時としては異例のヒット作品となった。小学館の歯ぎしりが聞こえてくるようだった。 (文:船山 理)

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