1980年代、世は空前のレースブーム。ホンダは、間違いなくその一翼を担っていた。CBX400Fでスーパーエリート(のちのTT-F3)カテゴリーを創出し、NSR250R、VFR400Rは劣勢だった各ローカルエリアの選手権で次々と名を上げていく。SPレースを呼ばれたクラスは、ノーマルから改造範囲が厳しく制限され、だからこそノーマル状態での性能が成績を左右する、メーカーにとっても負けられない戦場だった。
しかし、鈴鹿8耐をはじめとする4ストロークビックバイクでは勝手が違っていた。市販モデルをベースにシングルマシンに仕立て上げるという手法のTT-F1レギュレーションでは、スズキがGSX-R750で圧倒的存在感をアピールし、ヤマハはすぐにFZR750で、カワサキはワークス活動を復活させてまで、ZX-7Rで追い上げをスタートした。しかし、そこにホンダはいなかった。
もちろん鈴鹿8耐では、RR-F1ならではのチューニング範囲の広さを活かし、ツーリングモデルであるVFR750Fを最強レーシングマシンに仕立て上げていた。しかし、レースユーザーがホンダのマシンでレースをしたい時、そのツーリングモデル改か、時代遅れの空冷CBXに頼らざるをえなかったのだ。事実、ホンダ系トップチームであるモリワキもCBX、そしてツーリングスポーツCBR750をベースに苦しい戦いを強いられていた。
そんな背景で誕生したのが、RC30ことVFR750Rだった。エンジンのベースこそ750Fながら、最高級パーツを惜しげもなく投入し、まるで別物の新設計エンジンを作り上げた。
妥協なき作り込みは車体まわりにもおよび、枚挙に暇がないほどの完成度を見せていたのだ。
国内外に各1000台の限定発売に3000人余りが応募し、抽選販売される騒ぎになった。これで、市販車でもホンダ750ccクラスは息を吹き返し、レースの世界では、翌88年モデルから、このRC30をベースにワークスRVFが、そして世界中の多くのプライベーターがRC30をベースにして闘うことになる。
「耐久やスーパーバイクに参戦するために、改造費用が安く済み、小改造でレース臨めるためのマシンを提供する」
RC30は、まさにそのためだけに生まれたオートバイ。だからこそ、時を経てもなお、凛として美しい。
|文:安藤佳正/太田安治/中村浩史
|写真:松川忍