ホンダCBとカワサキZを性能だけでなく上回るもの (月間オートバイ©モーターマガジン社)

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この一枚のスケッチ画からカタナの物語がスタートする。カタナを生んだのは、1980年当時、スズキの欧州販売担当であった谷雅雄さんの強い意志と、多くの市販車・レーサーを開発してきた
横内悦夫さんの技術者魂だった。

69年のホンダCB750FOURから始まった日本の4ストロークビッグバイクの歴史。その3年後にはカワサキがZ1を発表。そんな2社の独占市場となっている4ストビックバイク市場にその4年後、遅れて登場したスズキ。GS750を発表するが、この2トップを崩すことはできない。この2トップに勝つためには、ひと目見て「スズキだ」とわかるスタイリングで、しかもバイクの機能を犠牲にしない1台が必要だったのです。

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1979年、ドイツのオートバイ専門誌『モトラッド』が増刊号の巻頭企画としてデザインコンペを開催。そこに寄せられた作品の1台がこのMV750S。製作は当時新興だったミュンヘンのターゲットデザイン。実はカタナと同時進行していた作品。

少しずつカタナとしての片鱗を見せ始めたこの作品。鮮やかな赤と今までにない曲線美に誰もが驚いた。

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「ケルンの衝撃」とも言われる1980年のケルンショーで発表されたターゲットデザインによるプロトタイプ【ED2】。この1台でカタナの方向性が周知された。ED1はGS650Gを目指す。

バイクの4ストローク時代に突入してから、ホンダ、カワサキの2社トップ体制に中々割って入れなかったスズキ。81年にカタナが世界デビューを飾ると同時にその構図を一気に崩す事に成功する。

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「当時、スズキのヨーロッパでのシェアは、国内4メーカーの最下位、数字でいえば10%ほどだった。それがカタナの登場で、シェアは30%ほどにまで上がって、ヨーロッパでスズキというブランドが一気に知られるようになった」とは、当時の2輪設計部を率いていた横内悦夫さんが述懐してくれたことだ。
 カタナはヨーロッパで人気モデルとなり、アウトバーンと呼ばれる現地の高速道路のスピードスターとして君臨。ZやCBよりも前傾姿勢が強く、小ぶりとはいえ、効果の高いカウルとスクリーンがあることで、ハイスピードクルージングに優れたモデルだったのだ。
 そして、まだビッグバイクが一般的ではなかった国内にも、カタナブームは巻き起こった。当時の自主規制で、750㏄以上のモデルを国内販売しない、という取り決めがあったものの、カタナは「逆輸入」という形で国スズキの名を知らしめた世界戦略モデル・カタナ内販売をスタート。これは、海外で売られているモデルを日本の商社、販売店が買い付け、外車同様の扱いで国内販売する、というもので、入荷したての逆輸入版1100カタナは、200万円近いプライスがつけられていた。ちなみに750カタナの販売価格が59万8000円だった頃の話である。

 カタナはその後、ほぼモデルチェンジされることなく、デビューした当時の独特のスタイルのまま販売を続け、90年代に1度人気が低迷する。しかし94年に国内正規販売を開始し、2000年に1100台限定生産されたファイナルエディションを最後に生産を終了。デビューしてから約20年で、総生産台数は約4万台となりました。