各都道府県の試験場でしか大型自動二輪免許が取得することができなかった「限定解除」時代・・・。こちらに紹介するのは、この時代を生きた方々にはちょっと懐かしく、知らない世代の方々には「へぇ〜」なコラムです。

東大入試より難しい??

※2015年のLawrence公開記事を、再編集しております。

1996年から教習所で自動二輪大型免許が取得できるようになり、今日ではこの制度を利用して大型免許を所得した方は多いでしょう。なお1975〜1995年までの約20年間は、大型免許は各都道府県の試験場でしか取得することができず、中型免許(現在の普通免許)や小型免許の保持者が大型免許取得にトライすることを、当時は「限定解除」と呼んでいました。今は大型と普通と免許自体が分けられているので、限定解除・・・とは呼ばなくなったわけです。

なお免許を持っていない状態からイキナリ大型免許に挑戦する「一発免許」という取得方法は今もありますが、当時は行政指導?により何らかの二輪免許をもっていない者には大型免許を受験させなかった、という話も耳にしました。

また全国共通の免許なのに、都道府県によって取得しやすい、しやすくないが変わるってのもヘンな話ですが、実際のところ、合格しやすい試験場と合格しにくい試験場があったみたいです(ちなみに都内は、鮫洲試験所より府中試験所がカンタンと言われてました)。

一説に当時の限定解除の合格率は10%とも言われており、「東大入試より難しい!」と(大げさに)言われることも・・・。自分にとっては約30年くらい前の昔のことなので記憶があやふやなのですが(スミマセン)、検定はまず引き起こしと取りまわしをチェックする事前審査からスタート。この時に使われる車両(退役した古い試験用車両)の燃料タンクには、容易に引き起こせないようにするため「砂やセメントが詰められている」というまことしやかな噂がありました(笑)。

画像: 1996年から指定教習所で大型自動二輪免許が取得できるようになったのは、ハーレーダビッドソンなどの大型自動二輪を日本市場で売りにくくしている・・・という海外からの「外圧」の影響が大でした。 lrnc.cc

1996年から指定教習所で大型自動二輪免許が取得できるようになったのは、ハーレーダビッドソンなどの大型自動二輪を日本市場で売りにくくしている・・・という海外からの「外圧」の影響が大でした。

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「鬼の中川」さん・・・をアナタは覚えていますか?

事前審査をクリアしたあとは、肝心の実技試験です。実技は設定されたA、Bコースのどちらかを規定通り走行する方式で、順番待ちの受験者は所内に貼られたコース図を見て、「ブツブツ・・・」つぶやきながらイメージトレーニングをするのが常でした。

受験者たちは当然、皆真剣ですがそれもそのはず? 走行中に減点オーバーすると、検定は即中止。そしてなけなしの、試験の印紙代(2,500円くらいでしたっけ?)はサヨウナラ・・・(涙)。そして試験場を去る前に、大体の受験者は次の試験の予約をするのですが、1980年代は「ツイているね、次は2週間後の木曜が空いているよ〜」と窓口のおばちゃんが言うように、受験者が多くて試験の予約を取るのも大変だったのです。

大型免許を取るためには練習が大事でした。そのため当時は、各地に民間の大型自動二輪専門の練習場というビジネスが存在していました。

そのなかでも一番有名だったのは、「鬼の中川」こと中川自動二輪教習所(名称正確に覚えてませんが)ではないでしょうか? 当時「オートバイ」誌などに掲載されたの広告・・・「本気で取りたければオレのところにこい!」(コピー正確に覚えていませんが)をご記憶のベテランライダーも多いのでは?

画像: こちらが鬼の中川さん。このパッケージは、中川さんのところへ通えない人のため? に企画された教習VHSテープです。限定解除関連のビジネスがあったのも、当時ならではのエピソードでしょう。 lrnc.cc

こちらが鬼の中川さん。このパッケージは、中川さんのところへ通えない人のため? に企画された教習VHSテープです。限定解除関連のビジネスがあったのも、当時ならではのエピソードでしょう。

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すべては遠い日の思い出に・・・

当時を体験した生き残り? としての記憶ですが、運転技量はもちろんゼロでは通りませんが、限定解除に何よりも必要だったのは技量よりも「プレイ」や「ゲーム」感覚だったと思います。

「プレイ」というのはロールプレイ、つまり「規範的安全運転者」になりきる遊びです。白いジェットヘルメット、ジーンズをブーツイン、ハキハキと教官に受け応え・・・所内にいる間は普段のズボラでイイカゲンな自分をいかに隠すか・・・に腐心したものです。

ゲームというのは、検定コースを走るのはロールプレイングゲームの「隠れキャラ」探し・・・みたいな感覚です。何度か試験所に通ううちに、知り合ったご親切な先輩受験者が「あの左折ポイントでちゃんとインに寄っているかどうかは、あそこのマンホールを踏んだかどうかで教官は判断している」とか、口伝(笑)で教えてくださりました。

その手の「秘密のアイテム」を全部揃えて完走すれば合格・・・という感じです。私は当時試験所で安全運転の心得的なことも教官から口頭で教わったような気がしますが、残念ながら? 今ではほとんど覚えてはおりません・・・(苦笑)。

画像: 記憶のなかの、当時の限定解除の(私の)イメージ? upload.wikimedia.org

記憶のなかの、当時の限定解除の(私の)イメージ?

upload.wikimedia.org

1990年前半のころ、当時編集部に所属していた2輪専門誌の記事作りのために、「あなたの限定解除エピソード」を募集したことがあります。4ページくらいの企画を想定していたのですが、100ページくらい作れそうなくらいの量・・・段ボール箱いっぱいに投稿が送られてきて驚いたのを覚えています。

中身は「20回受験してやっと受かりました。この免許は一生の宝です」とか、「私の明石試験所完全攻略マニュアル(400字詰め原稿用紙40枚!)」とか、上述した私の文章みたいなユルい(笑)のとかでした。みなさん苦労しただけ、語りたいものがあるんだなぁ・・・と思ったものです。

1996年に指定教習所で大型自動二輪免許が取れるようになってから、限定解除体験者のなかには、教習所で免許を取得した方を免許を買った人を「買い免」と呼んで嘲笑する人も・・・2000年前後くらいまでの時代にはいたものです(最近ではさすがに聞かなくなりましたが)。

限定解除に苦労して取得した大型自動二輪に誇りを持ち、安全運転を心がけることは素晴らしいことだと思います。しかし、それが教習所で大型自動二輪を取得した人を見下したりするための誇りであるなら、そんな傲(おご)りみたいな誇りは捨ててしまったほうが良いでしょう。過去は過去・・・私たちは今を生きているのですから。

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