戦後、世界ロードレースGP(現MotoGP)が成立した1949年から10年を経て、1959年からホンダは日本のメーカーとしては初めてGPへ挑戦しました。この連載は、今日に至るまでホンダのマシンに乗って世界タイトル(個人)を獲得した英雄たちを紹介するものです。今回はホンダライダーとして、MotoGPクラス2人目の王者となったアメリカンヒーロー、ニッキー・ヘイデンを紹介します。

ケンタッキーキッドの愛称とともに、多くのファンに愛されたライダー

ニッキー(=ニコラス・パトリック・ヘイデン)は1981年6月30日、アメリカ・ケンタッキー州オーエンズボロの、モーターサイクル好きの家庭に生まれました。彼が好んでつけた「69」の車番は、かつて彼の父であるアールが使用していたナンバーでした。

アメリカのCMRA(セントラル・モーターサイクル・ロードレーシング・アソシエーション)でレースを始めたニッキーは、高校生ながらファクトリー・ホンダのRVF/RC45に乗るチャンスを得るなど、将来を嘱望されたライダーでした。1999年はプライベーターでホンダに乗りAMAスーパースポーツ選手権を制覇。2001年からはAMAスーパーバイク選手権にフル参戦を開始。2002年にはアメリカで最もプレミアムなイベントであるデイトナ200優勝を達成するとともに、史上最年少のAMAスーパーバイク王者に輝きました。

ファクトリーマシンのホンダRC51を駆り、デイトナ200マイルを制覇したN.ヘイデン。

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そして2003年からはレプソルホンダに加入。チームメイトのバレンティーノ・ロッシとともにホンダファクトリーのRC211V(水冷4ストロークV型5気筒990cc)を駆り、2度3位表彰台を獲得。ランキング5位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。

2004年度も3位表彰台が2度(ランキング8位)・・・と、なかなか初勝利に手が届かずにいたヘイデンですが、2005年度の第8戦アメリカGPで地元のファンに初勝利をプレゼント! この年のランキングは3位まで上昇しました。

2005年度第8戦アメリカGPの舞台、ラグナセカの名物コーナー、コークスクリューにて。かつてのチームメイト、V.ロッシ(ヤマハ)の前を走るN.ヘイデン(ホンダ)。

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990cc時代最後のMotoGP王者に輝く

先日のフランスGP・MotoGPクラス優勝(マルク・マルケス)でホンダは1966年の初参戦以来から積み上げてきたGP最高峰クラス(500cc・MotoGP)での勝ち星が300に達しましたが、その道程の途中の「200」勝目は、ヘイデンが2006年のオランダGPで記録したものでした。

ヘイデン(右)は2006年オランダGP・MotoGPクラスで、ホンダ最高峰クラス200勝目というメモリアルな勝利を記録。

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2006年シーズンは、かつてのチームメイトで当時ヤマハに在籍していたV.ロッシを相手に、シーズン終盤まで僅差のタイトル争いを展開します。レプソルホンダのエースとなったニッキーのこの年の優勝は先述のオランダと、アメリカの2勝にとどまりましたが、リタイアはわずか1度という高い完走率で着実にポイントを稼ぎました。

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この年唯一のリタイアは、最終戦ひとつ前のラウンドである第16戦ポルトガル・・・。このときのノーポイントが響き、ニッキーはロッシにランキングで逆転されてしまいました。しかし最終戦バレンシアでは、なんとロッシが転倒リタイア。一方ニッキーは3位でゴールまで走りきり、見事な再逆転でMotoGP王者に輝いたのです!

その後2009年からはドゥカティライダーとして、そして2014年からは再びホンダライダーとしてMotoGPを走ったヘイデンは、2016年以降はSBK(世界スーパーバイク選手権)に転向。初年度は、マレーシアラウンドのレース2で、キャリア初のSBK勝利をホンダCBR1000RRで記録しました(ランキングは5位)。

2016年スーパーバイク世界選手権第6戦マレーシアラウンド、レース2での勝利をスタッフとともに喜ぶN.ヘイデン。この笑顔にもう会えないことがなんとも悲しいです・・・。

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2017年以降も、SBKや鈴鹿8耐でのヘイデンの活躍を、多くのファンは期待しました。しかしイタリア(イモラ)で開催された2017年のSBK第5戦後、ヘイデンはリミニ近郊で自転車トレーニング中に自動車との接触事故に遭い、地元の病院に緊急搬送されることに・・・。

その後、リミニ近郊の病院からチェゼーナにあるマウリツィオ・ブファリニ病院の集中治療室にヘイデンは移されましたが、懸命の治療も虚しく5月22日19時9分に35歳の若さでこの世を去ってしまったのです・・・。

今年1月、ドルナスポーツはヘイデンのパーソナルナンバーである「69」番をプレミアクラスの永久欠番に指定。そのセレモニーを、4月にアメリカズGPの舞台となるCOTA(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)で行いました。このCOTAのターン18は、「ヘイデン・ヒル」と名付けられております。

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