モリワキで活躍し、ホンダワークスライダーへ・・・
1959年にオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州で生まれたガードナーは、1977年・・・18歳のときにロードレースのキャリアをスタートさせました。そしてガードナーは、オーストラリアではすでに日本を代表するコンストラクターとして著名だったモリワキ代表の森脇護がライダーを探している・・・という話を聞きつけ、知人のマシンを借りてレースに出走。そのレースを観戦していたモリワキの総帥に、猛アピールを試みました。
森脇はガードナーの走りに光るものを見出し、彼をモリワキ製スーパーバイクのライダーに起用。1981年の鈴鹿8耐では、アルミフレームを採用したTT-F1仕様のモリワキモンスターに乗り、予選でなんと前年のポールポジションタイムを3秒近く上回る、2分14秒76という驚異的なタイムをガードナーは叩き出しました(決勝はリタイア)。
またガードナーは英国のスーパーバイク選手権などでも活躍し、その才能を認められて英国ホンダのワークスライダーとして起用されます。1983年にはオランダGP500ccクラスでGPデビューを果たし、翌1984年にはスウェーデンGP500ccクラスで、初表彰台(3位)を記録しています。
1985年からは、英国ホンダからついにワークスチームのロスマンズホンダ入りし、GPフル参戦をスタートさせます。この年はエースのフレディ・スペンサーが大活躍したシーズンでしたが、ガードナーはNS500を5度表彰台に導く活躍をし、ランキング4位という立派な成績をおさめました。
1986年はスペンサーが不調で、エースが不在という状況のなかでガードナーはキャリア初優勝を含む3勝をマークして500ccクラス・ランキング2位に躍進。そして1987年にはエースとして参戦。見事7勝をマークして500ccクラスのチャンピオンに輝きました!
ガッツ溢れる走りでファンを魅了
1980年代のホンダNSR500は、パワーはライバルに勝るがハンドリングでは劣る・・・と評価されていました。しかし当時のホンダの開発者のひとりの証言によると、「マシンが暴れたときはこの腕でなんとかするから、とにかくパワー最優先で作ってくれればいい」と、ガードナーは茶目っ気ある笑顔で開発者を励ましてくれたそうです。
しかし、当時の凶暴な2ストロークモンスターマシンとの格闘の末、ガードナーはレースキャリアの中で大怪我を何度かしています。1989年はアメリカGP(ラグナセカ)で脚を折り、その後の5戦を欠場したためキャリアワーストのランキング10位に終わりました。そして1990年も怪我で3戦を欠場し、ランキングは5位にとどまることになりました。
1991年は、ワークス加入後初の勝利なしというシーズンになりました。そんなガードナーの最後のGP勝利は1992年英国GPで、この年を限りにGPから引退することになります。
1993年からはツーリングカーを中心とした4輪レースに専念。1996〜2002年の間、トヨタ・スープラのドライバーとして全日本GT500に参戦したことは、4輪ファンの多くはご記憶でしょう。
なおガードナーの通算GP勝利数は500ccクラスでの18勝で、それはすべてホンダNSR500に乗って稼いだ勝ち星でした。