有効ポイント制・・・が生み出したドラマ!
長く残酷な第二次世界大戦が終わってから、欧州では早くも1949年にグランプリが再開されるようになります。かつての欧州選手権から新たに「世界選手権」を名乗るようになったGP初年度の最高峰クラス(500cc)は、戦前からの古豪である英国勢のAJSポーキュパイン(2気筒)とマルチシリンダー技術を確率したことで進境著しいイタリアのジレラ4気筒との戦いになりました。
記念すべき初年度の最高峰500ccクラスの王者になったのは、AJSに乗る英国のレス・グラハムでした。2位はイタリアのネロ・パガーニ(ジレラ)。両者のポイントは全6戦でグラハム30ポイント、パガーニ29ポイントという接戦でした。
この年、グラハムはスイスとアルスター(北アイルランド)のGPに勝利。一方パガーニはダッチTT(オランダ)とネーションズ(イタリア)のGPに勝利。勝ち星は2勝で同数ですが、じつは6戦中5つ完走したパガーニは当時のポイント制度で40点になるのに対し、2戦リタイアで終えたグラハムは31点に止まっています。
では何故パガーニが王者ではないのか・・・というと、当時350ccクラスと500ccクラスは、「有効ポイント制」が施行されていたためでした。全6戦中のうち、ベスト3の成績をカウントするというルールにより、グラハムは1-1-2位、パガーニは1-1-3位の獲得ポイントを集計したために、グラハムに軍配が上がったのです。
こちらのサイレント動画はシーズン開幕戦となった1949年のマン島TTのものです。グラハムは10位に終わり、パガーニは不参加でノーポイントだったので500ccクラスのタイトル争いの趨勢には無関係でしたが、AJS E90ポーキュパインの動く姿が見れる貴重な動画です。
なお余談ですが、L.グラハムの息子とスチュワートと、N.パガーニの息子のアルベルトは、ともにGPライダーとして後年活躍することになりました。スチュワートは1967年にスズキに乗り2勝(マン島TT50ccとフィンランドGP125cc)を記録。一方アルベルトは1969年イタリアGP(リント)、1971年イタリアGP(MVアグスタ)、1972年ユーゴスラビアGP(MVアグスタ)と、500ccクラスで3勝を記録しています。息子対決では、1勝差でパガーニの勝ち・・・と言えるのかもしれませんね?