若干27才(撮影当時。1989年3月20日生まれ)のグザヴィエ・ドラン監督が描く、不安定な家族愛とは。
年間100本の映画を観る筆者ができるだけマイルドに作品批評w
今回はマイルドにできなかったけどw
若き天才と称されるグザヴィエ・ドラン監督作品
『たかが世界の終わり』。原題は 「It's only just the end of the world」。
終わるのは世界そのものではなく、主人公ルイの寿命であり、彼自身の世界が終わる。もちろん本人にとっては一大事であり、それを伝えるために彼は12年も離れていた故郷へと足を運び、家族に会いにいく。
ルイはゲイであり、恐らく若かりし頃の道ならぬ恋のために、故郷を捨てることになったのだろう。そして、その時の恋人もまた故人となっている。父親は既に亡く、母と兄夫婦、そして妹の3人がルイを迎えるが、母親はむやみにはしゃぎ、兄は不自然なほどの苛々を隠せず、自分への記憶があまりない妹ともうまくコミュニケーションできない。血の繋がった家族たちだからこそ、距離感がつかめずに皆戸惑い続けるのだが、逆に初めて会う兄嫁といるときだけ、ルイは穏やかに話をすることができる。
ルイは自分の余命が短いことを伝えにきたが、そのきっかけをなかなか得ることができず、時間だけが過ぎていく。愛がないわけではなく、ただ恐ろしく不器用な家族たちの、愛するがゆえの不安定さを、ひたすら続く会話とバストショット中心のとことん寄ったカメラワークで描いた話題作。
一流キャストを集めているが・・・
主人公のルイに『ハンニバル』『サンローラン』でも主演を務めたギャスパー・ウリエル(この人、ゲイ役ばかりだけど、本当はどうなんだろう)。
苛々どおしの兄にヴァンサン・カッセル。その嫁をマリオン・コティアールが演じ、さらに妹役にはレア・セドゥ。
日本でも有名な俳優を揃えた作品だけに、期待を持って観たのだが、自分が「もうすぐ死ぬ」という一言を言うためにきたのになかなか口に出せない青年と、何か不穏なものを予感しながらそれを避けようとする家族たちとの無為な時間をひたすら見せられる展開に、こちらは眠気を抑えるのが大変な状況に追い込まれる。
登場人物が皆美しい顔と絶妙な演技力を持っているがゆえに、延々と続く会話劇の退屈さがつらすぎるのである。
確かに抑えた演出もカメラワークも新しさ(もしかすると古さ?)があって、独特のムードはあるが、これは映画館で観ていたらきっと辛過ぎて絶望するだろうという出来。
こういうのが好き、という人もいるだろうけれど、僕は今年初めて(まあ始まったばかりだけどね)借りたことを後悔した作品となりました。『たかが世界の終わり』が、この監督のキャリアの終わりにならなければいいけど。
観たい??
勧めないよ。