今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。今回は、ヤマハとホンダで計3勝をあげたコーリン・エドワーズです!

ヤングコンビでヤマハ久々の8耐優勝を記録!

1974年生まれのエドワーズは、1996年の鈴鹿8耐に1975年生まれの芳賀紀行のコンビを組んで、ヤマハYZF750で出場しました。当時、SBK(世界スーパーバイク世界選手権)で台頭してきていたエドワーズと、全日本スーパーバイククラスで活躍していた芳賀のヤングコンビは、決勝で青木拓磨/カール・フォガティ組(ホンダ)と激しい首位争いを展開します。

ピットインしたヤマハYZF750にまたがるC.エドワーズ。チームメイトの芳賀にサムアップも見せています。なおエドワーズは前年の鈴鹿8耐では永井康友とペアを組み、5位を記録しています(YZF750SP)。

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首位争いの決着がついたのは、3時間50分経過時の103周目でした。フォガティの転倒により芳賀がトップに浮上。以降は安定したペースで独走し前年の212周を上回る214周の新記録で優勝! この勝利は、ヤマハにとって6年ぶり4度目の鈴鹿8耐の栄冠でした。

表彰台の中央で喜ぶC.エドワーズ(左)と芳賀紀行。史上最年少ペアの優勝記録を樹立しました。

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芳賀の21歳148日の鈴鹿8耐優勝は、それまでのダリル・ビーティー(1992年、21歳304日)を破る最年少優勝記録になりました。また、エドワーズも22歳152日と若く、ペアとしても史上最年少優勝記録となっています。

ホンダ時代に鈴鹿8耐2勝をマーク!

1998年、エドワーズはホンダに移籍してSBKに参戦。最初の2年はSBKにおけるRVF/RC45の戦闘力不足で苦戦しますが、2000年に新型V型2気筒のVTR1000SPWを手にすると、彼の才能は一気に開花します。この年、SBKフル参戦したかつてのチームメイト、芳賀(ヤマハ)とのタイトル争いを制して初のSBKタイトルを戴冠。翌年はランキング2位で防衛に失敗しますが、2002年は再びSBK王者に輝いています。

画像: 2001年、V.ロッシのパートナーとして、鈴鹿8耐をホンダVTR1000SPWで走るC.エドワーズ。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

2001年、V.ロッシのパートナーとして、鈴鹿8耐をホンダVTR1000SPWで走るC.エドワーズ。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

鈴鹿8耐に関しては、1998年は岡田忠之と組んで3位、1999年はアーロン・スライトと組んで2位と連続して表彰台をゲットしますが、SBK同様に彼が鈴鹿8耐で輝くのはVTR1000SPWに主戦がスイッチしてからでした。

ヴァレンティーノ・ロッシと組んでVTR1000SPWで出場した初年度の2000年はリタイアに終わりますが、2年目の2001年は見事優勝。そして翌2002年は大ちゃんこと加藤大治郎と組み、自身の連覇を成し遂げます。

2003年以降、エドワーズはMotoGPに長年参戦することになり、鈴鹿8耐に出場することはなくなりました。2014年に引退した彼は、アメリカで「テキサス・トルネード・ブート・キャンプ」というライダーのトレーニング・プログラムを運営したり、現在のMotoGPのワンメイクタイヤであるミシュランの、開発テストに協力したりと、精力的に活動しています。

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