今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。今回は2000年、2002年の8耐に勝利した加藤大治郎です。

初優勝は2000年!

1976年、埼玉生まれの加藤大治郎は、両親からポケバイをプレゼントされ、5歳から自宅近くのミニバイク/カートコースであるサーキット秋ヶ瀬に通うようになります。同世代のライダーたちとの競い合いで腕を磨いた大治郎は、16歳になるとロードレースへ本格進出。1994年からは特別昇格により国際A級となり、全日本250ccへのフル参戦を開始します。

鈴鹿8耐にはこの1994年から参戦しますが、ホンダの主戦マシンがV型4気筒750ccのRVF/RC45だった時代は、大治郎は8耐の表彰台に手がとどくことはありませんでした。そして2000年、ホンダが新たにV型2気筒1,000ccのVTR1000SPWを投入した年、宇川徹と組んで出場した大治郎は、チームキャビンホンダの4号車で8耐初優勝を達成します。

画像: 2000年大会、ホンダVTR1000SPWで疾走する加藤大治郎。ライバルたちの脱落もあり、宇川/加藤組は全車を周回遅れにして、新記録の215周で優勝しました。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

2000年大会、ホンダVTR1000SPWで疾走する加藤大治郎。ライバルたちの脱落もあり、宇川/加藤組は全車を周回遅れにして、新記録の215周で優勝しました。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

画像: 表彰台中央に立った宇川/加藤組は喜びのあまり、ライディングギアを全て下へ投げてしまいます。 ©︎鈴鹿サーlキット/モビリティランド

表彰台中央に立った宇川/加藤組は喜びのあまり、ライディングギアを全て下へ投げてしまいます。 ©︎鈴鹿サーlキット/モビリティランド

2002年もチームキャビンホンダのVTR1000SPWで優勝!

翌2001年もチームキャビンホンダのVTR1000SPWで、宇川と組んで出場(第3ライダー登録は玉田誠)しますが、しかしこの年はVTR1000SPWの11号車と33号車が1-2フィニッシュするものの、宇川/加藤組の4号車は首位と同一周回ながら惜しくも4位に終わりました。

2002年もチームキャビンホンダのVTR1000SPWに乗ることになりますが、この年はホンダワークス伝統のエースナンバー「11」を託され、コーリン・エドワーズとペアを組みました。2気筒1,000ccで燃費の良いVTR1000SPWの特性を活かし、6回ピットで220周という作戦で必勝を期しての戦いでしたが、レース終盤の雨で200周の目標達成はなりませんでした。

しかし、3位まで同一周回の219周でVTR1000SPWが表彰台を独占した状況の中、11号車の加藤/エドワーズ組が優勝。見事本命チームとしてホンダの期待に応えました。

画像: ホンダのエースナンバー11をつけてのぞんだ2002年、見事加藤大治郎はC.エドワーズとともに優勝します。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

ホンダのエースナンバー11をつけてのぞんだ2002年、見事加藤大治郎はC.エドワーズとともに優勝します。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

画像: 表彰台の頂点で、大治郎の背中を抱きしめるC.エドワーズ。ご覧のとおり2人には体格差がかなりありますが、コンビネーションはばっちりだったそうです。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

表彰台の頂点で、大治郎の背中を抱きしめるC.エドワーズ。ご覧のとおり2人には体格差がかなりありますが、コンビネーションはばっちりだったそうです。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

2003年、MotoGP開幕戦の日本GPの事故により、26歳で加藤大治郎はこの世を去ることになりますが、もし彼が生きていたら彼の鈴鹿8耐での勝利数はもっとのびていたに違いありません・・・。

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