そんなナナハンへの熱い想いを、みなさんと共有したい。
『オートバイ 2016年11月号』付録「RIDE」ナナハンは不滅だ!より
文:小松信夫 & 安藤佳正/ 写真:松川 忍 / 車両協力:ウエマツ
デジタル編集 by 楠雅彦@ロレンス編集部
時代が変わっても、ナナハンはずっとなくならない!
排気量が750ccのオートバイの最古の例というのは、現存しているメジャーなメーカーの中では、 1928年に登場したBMW・R62とインディアン・スカウトあたりだと思われる。これに続くのが 1929年、ハーレー・モデルD Lだろう。
ではなぜ750ccだったのか? といえば、確証はないが、端的に言ってしまうと、当時各社からさまざまな排気量のモデルがラインアップされている中で、区切りのいいところで1000ccと500 ccがあるなら、次はその中間...... ということで導き出された......というのがひとつの答えになりそうだ。これらの戦前世代750ccの中で、特にアメリカではハーレーの750ccモデルが根強い人気を集めてロングセラーとなるのだが、むしろこのことが、60年代末から70年代にかけての750ccクラス隆盛に大きく影響を与えたことは間違いなさそうだ。
そんな世界的な750ccブームの中で、決定打となったのがホンダCB750FOURというわけだ。実際にAMAレースでも、1970年デイトナ200マイルではディック・マンの駆るホンダCB750Rが、トライアンフ・ トライデントを抑えてデビューウィンを果たす。これは日本製の市販スポーツバイクがハーレーやイギリス勢を越え、名実ともに世界一の地位に上り詰めたことを象徴する出来事だったといえるだろう。
750cc=ナナハンクラスは、 このように偶然的な要素がからみ合って誕生したとも言えるが、日本ではー我々にとっては、フラッグシップであり、憧れの存在であり、レースの象徴であり、新たなコンセプトを実現させるクラスであるなど、時を経るに連れ、その立ち位置やイメージを変えながら、いまも小さくはない存在感 を示している。時代が変わっても、ナナハンはずっとなくならない!
60年代末──日本で、ナナハンが生まれた
1960年代中盤、スポーツモ デルとして世界的に名を馳せてい たのはトライアンフやノートン、 BSAといった英国メーカーの 650ccツインモデルで、対する純国産オリジナル設計のビッグマシンといえばホンダCB450、スズキT500ぐらい。性能面では英国勢と互角に渡り合いながらも、排気量と最高出力、最高速度、 そしてオリジナリティが重視される、アメリカを中心とした海外市場でのインパクトは必ずしも大きなものではなかった。 そこで、名実ともに世界最強のマシンを目指して次期モデルの開発に着手したホンダは、トライアンフから3気筒750ccマシンが登場するとの情報を得て、排気量を同じ750ccに設定し、エンジンレイアウトはかつて世界GPを席巻したワークスRCシリーズのノウハウを活かした並列4気筒に決定。極秘裏に開発を進め、アメリカで実走テスト段階にまで入っていたそのマシンは、1968年末に日本に戻され、ドリームCB 750FOURとして東京モーターショーに出品される。
GPレーサー譲りの並列4気筒エンジン、750ccの大排気量、67馬力の大パワー、フロントディスクブレーキ、圧倒的なボリューム感、光り輝くメタリック塗装のフューエルタンクなど、それまでの常識をはるかに超える技術レベルとクォリティが与えられたCB750FOURは、世界中にセンセーションを巻き起こし、すべてのライダーの憧れのマシンとなる。
時同じくして、ホンダ同様に、英国勢を完全に凌駕する大排気量オリジナルモデルの必要性を痛感していたカワサキは、まったく新しい4ストロークエンジンの開発に着手していた。排気量は英国ノートン・コマンドを範に750ccとし、レイアウトは量産市販車初の4気筒。弁方式は最先端のDOHCと決定された。 68年後半には実走テスト段階にまで入っていたと言われるが、 その年の東京モーターショーにホンダCB750FOURがデビュー。SOHCとDOHCの違いこそあれ、同じ排気量で似通ったコンセプトのモデルの登場に、カワサキは路線変更を余儀なくされる。
そして、すべての面でCB750FOURを上回ることを命題に、900スーパー4「Z1」を開発。72年に輸出を開始した。
スタイリッシュなフォルムとずば抜けた性能で一躍スターダムに立ったZ1。当初カワサキではZ1をそのまま国内市販する予定だったが、大型バイクによる騒音問題や若年ユーザーによる事故の激増が社会的にクローズアップされ、「国内は750ccまで」というメーカー間の申し合わせが成立。国内市販がかなわなくなってしまった。そこで、排気量を746ccにスケールダウン。750RS、 通称Z2として73年2月に発売された。
排気量変更に関わらないパーツは、ほとんどがZ1と共通のため耐久性は申し分なし。
車体もまたZ1と共通なため、当時の国内モデルの中でも群を抜く安定したハンドリングを実現。「Z1の国内仕様」ではなく、Z2そのものが評価されて爆発的な人気を呼ぶ。目標だったCB750 FOURからトップの座を奪うと同時に、一転してライバルメー カーが躍起になって追いかけるマシンとなった。
250と400人気が高まる一方で、多様化していくナナハン
免許制度改定によって、販売面では厳しい状況が続くナナハンだったが、79年に入ってZ2とCB750FOURがそれぞれZ750FX、CB750Fにモデルチェンジし、80年には久々の4ストロークモデルでありながら大成功を収めたスズキGS750もGSX750Eへと進化。81年にはヤマハのXJ750E/Aが登場し、4メーカーの4気筒ナナハンが出揃うことになった。
しかし、79年のカワサキZ 400FX、 80年のヤマハRZ 250、 81年のCBX400Fの 登場をきっかけに、250/ 400ccクラスを中心とした空前のバイクブーム、ロードレース ブーム、レーサーレプリカブームが巻き起こると、ナナハンの存在感は徐々に薄くなっていく。免許制度の関係もあって販売台数の伸びないナナハンよりも、確実に台数が見込める中型クラスに開発の主軸を置くのは至って自然なこと。 4気筒、DOHC、水冷がそうであったように、最先端のメカニズ ムは大排気量車から下りてくるのが当たり前だったかつての流れが逆転し、中型クラスから先に採用されるようになる。こうして、特に若いライダーを中心に「別にナナハンじゃなくてもいいじゃん」という意識が生まれたのだった。
87年にはレーサーレプリカのホンダVFR750R [RC] やヤマハFZR750が登場。それと並行してヤマハFZX750やホンダVマグナといったストリート向けのモデルも登場し、再び 750ccクラスが息を吹き返す。 ただ、高性能化するに連れて、CB750FOURやZ2時代のどこか泥臭い「ナナハン」というイメージが薄らいでいったのも事実だった。
国内750オーバー解禁!ナナハンに逆風
80年代後半に入るとバイクブーム、ロードレースブーム、レーサーレプリカブームも陰りが見え始め、代わって89年に発売されたカワサキ・ゼファー(400)の 大ヒットに端を発するネイキッドブームが訪れる。
しかし、流通が整備されて逆輸入車が簡単に手に入るようになり、事実上形骸化していた「国内 仕様は750ccまで」というメー カー間の自主規制が90年に撤廃され、さらに「難しい限定解除試験が大型バイクの販売を妨げている。非関税障壁だ!」という欧米からのクレームを受けて、96年9月からは大型自動二輪免許が教習所で取れるようになる。ここで、念願の大型二輪免許を取ったユーザーはどうしたか?
大多数のひとがナナハンを飛び越えて憧れのリッターバイクを手に入れたのだ。 つまり、国内オーバー750解禁も、教習所での大型二輪免許取得も、二輪業界全体としては非常に喜ばしいことだったが、ナナハ ンにとっては結果的に引導を渡されることになってしまった
変わり続ける潮流の中で、現在、そして未来のナナハンとは?
4気筒750cc、2気筒1000ccというレギュレーションで行なわれてきたスーパーバイクレースが、04年から2気筒/4気筒ともに 1000ccというレギュレーショ ンに変わる。それに先駆けて、全日本ロードレースでは世界耐久選手権のレギュレーションをベース にしたJSB1000が03年から最高峰クラスになった。
スーパーパーバイクレースのベースマシンとして存続して来た750 ccスーパースポーツは、このレ ギュレーション変更によって完全に行き場を失い、次々と姿を消していくことになった。
一方、ゼファー750やCB 750、ZR‐7、 98年に復活したFZX750といったスタンダードスポーツ勢は「一度は乗っ てみたい」とリッターマシンに飛び付いたものの、そのパワーや大きさ、重さを持て余したユーザーの格好の受け皿となったが、いかんせんバリエーションが少なく、所有欲を満たすという意味ではリッターオーバークラスに勝てなかった。さらに06年から施行され た厳しい排出ガス規制が追い打ちをかけて、一斉に姿を消してしまった。ナナハンの市場は、縮小する一方となったのである。
750cc=「ナナハン」 はもはや、日本独自のカテゴリーといっても過言ではない。これからさらにグローバルな車両づくりが進んでいくことに加えて、該当レースカテゴリーがないこともあり、アッパーミドルクラスには700cc/800ccといった排気量になっていくのだろう。 そうした、言わば逆境の中にあるナナハンだが、日本国内にとって、いや我々にとって「ナナハン」とはただの排気量区分ではなく、世界に衝撃を与えた誇りであり、憧れでもある、言わばひとつの文化なのだ。だから、ナナハンの存在感は、きっとこれからも変わらない。