究極の環境”火星”でサバイバルに挑む宇宙飛行士
ロビンソン・クルーソーと書いたものの、今時の若い読者ならきっと意味不明なのだろう(苦笑)。
本作の原題は「Martian」。火星の、ずばり火星人を指す言葉だ。(原作である小説は「火星の人」という邦題がついている)
邦題の「オデッセイ」とは、ギリシア神話の「オデッセイ」を意味すると思われる。ホメロスの叙事詩「オデッセイア」のことだ。「オデッセイア」は、トロイ戦争の凱旋途中でさまざまな困難に遭遇し、10年もの長きにわたって放浪の憂き目にあった英雄オデッセウスの冒険譚である。
本作では主人公の宇宙飛行士マーク・ワトニーをオデッセウスに例えて表現しているわけだが、やはり僕にはロビンソン・クルーソーの方が近いように思う。
まあ、それはそれとして、本作では有人宇宙船で火星を探索中のクルーたちが、宇宙嵐に遭遇し、火星を脱出するところから始まる。しかし、主人公のマークだけが取り残されてしまう。しかも、他のクルーは、マークは死んだものと思っている・・。
彼は火星の残された研究施設の物資や、彼自身のさまざまな知識と知恵でもって、火星でのサバイバルを試みるが、状況はどう考えても最悪だ。
まず、次に有人探索機が火星を訪れるのは早くても4年後。とはいえ、地球との交信手段はなく、本当に4年後に探索機が来るかはわからない。施設に何らかの故障があればそれは死を意味するし、備蓄食料は乏しい。
そんな絶望的な状況の中で、マークは一人呟く。こんなところで死ぬものか、と。幸いにして、彼は植物学者であった。そこで、彼は施設に土を運び、食用植物の栽培にトライするのだ。
やがて地球はマークの生存を知り、彼の救出に動き始めるかもしれない。そんな当てのない希望を頼りに彼は生き残りに奮闘する。果たして彼は帰還することはできるのか・・・。
みなさん、いつか役立つかもしれないから、勉強はしておこう(笑)
実は地球側では、衛星通信映像を介してマークの生存をかなり早い段階で知る。とはいえ、彼がまさか食料の自給自足に成功しているとは思わないから、救援に向かっても彼を救えないと思っている。
しかし彼は生き抜く。さまざまな科学知識がマークを救うのである。
植物を栽培したり、水を作ったりと、生き延びるためにありとあらゆる手段を講じて運命と戦う。救いの手はいつまでたっても差し伸べられないかもしれない。それでもマークは諦めない。いつか助けが来ると信じて。
本作をみて、心底思うことは、勉強は役に立たないかもしれないと思っていたとしてもやっておくべきだ、ということだ。そしてもう一つ。マークは生存のためのさまざまな努力をしている最中で、音楽を流して鼻歌を歌う、心の余裕を失わない。それはユーモアのセンスであり、へこたれない根性でもある。
知識と気持ちの強さ。この二つを兼ね備えることは、誰に取っても必要だ。
それは火星に一人ぼっちで残されるほどではないにしても、我々誰もが遭遇するかもしれないHARD THINGS(困難、災難)に立ち向かう勇気となるからである。