レーサーレプリカのブームに火をつけたのは80年代のスズキでした。まず、83年にフルカウルとアルミフレームを持つRG250Γを世に送り、続いて、84年に400ccのGSX-R400を同じコンセプトで打ち出しました。しかしこれで終わりではありません。ついに彼らは、同じ手法を750ccクラスに導入するのです。レーサーそのままの外観と常識を破る軽さ、そして高出力が鍵。こうして”油冷”が生まれました。そのデビューは84年9月のケルンショー。
マシーンの名は、GSX-R。

1985 GSX-R

第三の冷却方法への挑戦

出力の増大とともに、空冷エンジンから次の世代に移行しようとしていた80年代。ライバルがこぞって水冷化への道を選ぶ中、スズキの設計部長・横内悦夫さんは、第三の冷却方法に挑戦します。アルミフレームに搭載されたそれは、油冷エンジンと名付けられました。

画像: ©モーターマガジン社

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大排気量レーサーレプリカの礎を築いた偉大なる先駆者

レーサーレプリカ。大排気量スポーツバイクの世界において、最初にこのジャンルを提唱したのが1985年に発売されたGSX-R750・・というわけではありません。ノートン・コマンドPR、ドゥカティ750SS、CB1100Rという前例はありました。

しかしながら、GSX-R750ほどサーキットを走ること、小改造でレースを戦えることを意識した大型量産車は、それ以前には存在しませんでした。

車体の基盤となったのはワークスレーサーGS1000R。保安部品を装備した状態で同じ走りを実現することは不可能であるものの、GSX-R750はそれに近い走行性能を持っていました。
驚くべきはその軽さと小ささで、乾燥重量:179kg/軸間距離:1430mmという数値は、当時のライバルとされていた、VFR750F:199kg/1480mm、FZ750:209kg/1485mm、GPZ750R:228kg/1500mm(900Rもほぼ同値)を完全に圧倒していました。

画像: GSX-R750の試作車。イエローを基調としたカラーは1983年シーズンの耐久レーサーGS1000Rと同じ。外装の造形は完成系に近いが、カウルは上から下まで一体、グラブバーが角パイプなど細部が異なる。/©モーターマガジン社

GSX-R750の試作車。イエローを基調としたカラーは1983年シーズンの耐久レーサーGS1000Rと同じ。外装の造形は完成系に近いが、カウルは上から下まで一体、グラブバーが角パイプなど細部が異なる。/©モーターマガジン社

油冷エンジン、アルミフレームを筆頭に、GSX-R750には、国産車初、あるいはスズキ初のメカニズムが数多く採用されましたが、すべてはこれを実現するためにあったとして過言ではありません。

小型・軽量化を推し進めて、ワークスレーサーに匹敵する性能を獲得します。この思想は徐々に他社にも浸透していき、のちに各社の大排気量車は大いなる進化を遂げることとなりました。
当時は「過激すぎる」との評判もあったGSX-R750ですが、この車両は日本社の歴史を語る上で、欠かせない存在なのです。

画像: 圧倒的、存在感。©モーターマガジン社

圧倒的、存在感。©モーターマガジン社

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