“最大、最速”を掲げて計画が始動した「Z1」
650㏄バーチカルツインのW1 、2スト3気筒のマッハⅢで 、当時隆盛のアメリカ市場に打って出たカワサキが、次なる世界戦略車種として密かに開発を進めていたのが、当時としては未知のメカニズムだったDOHC4気筒エンジンを積む750マシン。その開発は「N600計画」と名づけられ、 1969年秋の市販化を目指してすでに実走テスト段階にまで入っていたが、その矢先の68年10月、東京モーターショーでホンダがCB750フォアを発表。
OHCとDOHCの違いこそあれ、 『並列4気筒750cc』というあまりにも似通ったマシンのデビューによって、N600計画は方針変更を余儀なくされる。そこでカワサキは、当時アメリカで人気を集めていたハーレー・スポーツスターの903ccにならい、N600をベースに排気量設定を900ccに上げ た「ニューヨークステーキ計画」を再スタートする。それが900スーパー4、Z1。「Z神話」、「Z伝説」、「伝統の900」の始まりである 。
HONDAのCB750フォアと方向性が限りなく類似していた事によって生まれた名車とも言える「Z1」。もし、HONDAがCB750フォアを発表していなかったら、いったいどんなバイクがKawasakiから発表される事になっていたのか。少し気になりますが、それでも私は、Z1という名車が生まれた事に感謝したい。
グラフィックを火の玉から太いライン入りに変更。エンジンはカムカバーにOリン グを採用、オイル漏れ対策で2分割ヘッドガスケットも採用された。 ●空冷4ストDOHC2バルブ並列4気筒
●903cc●82PS/8500rpm●7.5kg-m/7000rpm● 230kg●3.25-19・4.00-18●輸出車
73年のカラー変更、キャブを変更した74年のZ1Aを経て登場。テールのラインが 上まで回り込み、エンブレムが「900」を強調されたものに変更されている。
●空冷4ストDOHC2バルブ並列4気筒●903cc●82PS/8500rpm●7.5kg-m/7000rpm● 230kg
●3.25-19・4.00-18●輸出車
キャブ径が28㎜から26㎜に変更されて扱いやすさと燃費を向上。タンクやサイド カバー形状、足まわりも若干変更。型式名はZ900A4。 ●空冷4ストDOHC2バルブ並列4気筒●903㏄
●81PS/8500rpm●7.3㎏-m/7000rpm● 230㎏●3.25-19・4.00-18●輸出車
Z900のボアを広げてスケールアップし、クランクシャフトもウエイトを重めにし たトルク重視の設計で細かな熟成が進められた。 ●空冷4ストDOHC2バルブ並列4気筒●1015㏄
●83PS/8000rpm●8.1㎏-m/6500rpm● 240㎏●3.25-19・4.00-18●輸出車
カラーグラフィックを変更。フロントブレーキキャリパーがフォーク後方に移動し、 新型マスターシリンダーや負圧式燃料コックも採用。
●空冷4ストDOHC2バルブ並列4気筒●1015㏄●83PS/8000rpm●8.1㎏-m/6500rpm● 240㎏
●3.25-19・4.00-18●輸出車
Z1A、Z1Bとマイナーチェンジを重ね、76年にZ900A4、翌77年にはZ1000Aとなって、Z1という型式名、900ccという排気量は市場から姿を消すが、Z1E型エンジンはその後もZ1000Mk2 .Ⅱ、 Z1000J、Z1000Rと進化を続け、カフェレーサー風のZ1Rや、シャフトドライブを採用したツアラー指向のST系、ライバルメーカーに先駆けてフューエルインジェクションを採用したGP系など 、個性的あるいは画期的なマシンを次々に派生。排気量も最終的には1100ccまで拡大される。85 年型のGPZ1100を最後に後進の水冷4気筒モデルに道を譲るが、それまでの13年間、Z1ベースの空冷2バルブ4気筒エンジンで常に第一線を闘い抜いてきたことも、後のZ1神話を形づくった大きな要因といっていいだろう。
打倒CB750フォアから始まったZ1開発計画。「N600」、「T103」、「0030」、「9057」。機密保全のために、度々変更されたZ1開発の社内コード。トップシークレットとして1967年にスタートし、5年越しに発表されたZ1は、輸出開始と同時に世界中で大ヒットを納め、今でもなお語り継がれ、誰もが憧れるZ伝説が始まった。