『RIDE18』に掲載された、中村浩史さんによるカタナへの熱い思い。彼がカタナを手にした背景とは?バイクって、やっぱり特別だ。

キリンのカタナに燃えた日々(後編)/文:中村浩史

それから時は流れて、免許が取れる年齢に達した僕は、大型免許を取って、カタナの弟分の650ccを中古で手に入れた。世の中、すでにアルミフレームやフルカウルのレーサーレプリカが全盛だったけれど、カタナへの思いは消えていなかった。

すでに目新しい存在ではなくなっていたカタナは、新車ですら85万円で買えるところまで来ていた。もう手が届くかも、と思った頃、初めてカタナに乗るチャンスがやってきた。オートバイ屋を営む先輩の知り合いが持っているカタナに、乗ってもいいよ、と。
自分のカタナが来るまでは乗っちゃいけない、そうも思ったけれど、乗ってみたい誘惑に勝てなかった。

重い、大きいオートバイ。エンジンの吹けも遅く、曲がらない、止まらない。僕が憧れていたオートバイって、こんなだったのかーー。それが、いったんはカタナをあきらめた理由のひとつだった。

社会人になって、何台もオートバイを乗り継いだ頃、カタナはついに生産中止になってしまった。もう買えないのか、そう思っても、さして惜しいとは思わなかった。

ある日、あの重くて遅くて曲がらないオートバイをレストアして、手作業で組み上げ直した車両があると聞いた。中古車両をベースに可能な限り新品パーツを組み、カンどころをわかったスペシャリストが組んだそれは、とてもカタナとは思えないような、軽快で俊敏な動き。
決して速くはないけれど、動きの質がいい。試乗をして、いっぺんに僕の青春が蘇った。

画像: 「キリン」©東本昌平先生/少年画報社

「キリン」©東本昌平先生/少年画報社

スタンダードからブレーキを強化して、お決まりのチタンマフラーを取り付けたら、中学生の頃に見た値段になってしまったけれど、僕はそのカタナを買った。もうひとつのターニングポイントだったのだろう。

気がつけば、あのオヤジと同じ年代になっていた。僕は一生、カタナを手放さない。

あなたと愛車のストーリーは?

オートバイとオーナーの間には十人十色のストーリーがあり、その先に見える景色は百騎百景、なのでしょう。
みなさんの愛車との関係には、どんな物語がありますか?

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.