そしてパパラッチからの映像が、違法な手段で撮影されたものかもしれないとしても、視聴率さえとれれば意にも介さないテレビ局のディレクター。
金と数字に心を奪われた者たちは、究極のスクープを追い求めて狂気に取り憑かれ、どんどんエスカレートしていく・・・。
アドレナリンを出しまくってスクープを追うパパラッチ
ジェイク・ギレンホールが扮するルイスはあるとき、スクープ映像を撮影することができれば、それを買う者(テレビ局)がいる、ということを知る。そこで彼も自ら報道パパラッチ<通称 ナイトクローラー >となり、夜な夜なスクープを追うようになる。
スクープとは事故や殺人などの事件現場の映像を撮ること。さらに望ましいのは「被害者が郊外に住む白人の富裕層で、犯人はマイノリティや貧困層」の事件映像をモノにすることだ。視聴者が求めているのは、刺激的な画であり、そこに倫理や道徳は関係ない。大事なことは視聴率を取れる、ということであり、そういう画であれば、テレビ局がいくらでも高く買ってくれる。それが重要だ。
だから毎夜、危険な匂いを求めてルイスは街を彷徨う。まるで獲物を追ってジャングルをかけるハンターのように。やがて彼は警察無線を傍受しては、事故や事件現場を嗅ぎつけ、駆けつけるようになる。
”仕事熱心”なあまりに、麻痺していく道徳心と倫理観
本作では、こそ泥をしながら職を求めていた若者が、報道パパラッチという稼ぎ方に夢中になり、寝食を忘れて打ち込んでいく姿を描いている。主人公ルイスは学歴はないものの、勉強熱心だ。学校にいかなくとも大抵のことはネットで学べるからだし、仕事に対する忠誠心がある。
仕事にのめり込む彼は、スクープをモノにしたいがために、やがて違法な手段に手を染め始める。真実をカメラに収めるのではなく、視聴者が喜びそうな画をカメラに収めるようとする。つまり捏造することも厭わなくなる。そのやりかたもエスカレートしていき、やがて一線を超えるようになる・・・・。
ルイスを追い込んでいくのは金ではなく、むしろ虚栄心であり名誉欲だ。ライバルに負けたくない、蹴落としてでも勝ちたい、誰よりも早くすごいスクープをゲットしたい。そのためならば、どんな手でも使ってしまう。
その様子は見ていて不快になるほどだ。・・なのだが、どこかルイスの行動を否定しきれないところもあるのもまた事実だ。ニーチェは言った。「長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返す」と。
本作の主人公ルイスは、犯罪を犯したかったわけでもないし倫理を侵したかったわけではない。ただ誰よりもスクープを欲した。それが結局は彼を悪徳の道へと追い込んでいった。
リスクを負ってでも貪欲に成功を目指す者は、闇に飲み込まれるリスクをも抱えている。そのことを忘れてはならない。その意味で、本作『ナイトクローラー』は、成功に貪欲な者たちへの反面教師、なのである。