極上ともいえる華やかさ。主役は世界一のドライバー。彼らはまさに希代のロックスターといえる存在だった。鳴り響く爆音が市街地を駆け抜ける。その姿に観衆は熱狂する。ポランスキーがその目で見て、肌で感じたものは類いまれな才能を持つレーサーの真実だった。生死を賭けて世界一の栄光を目指す。そしてその裏では最愛の人、友を失った悲しみも...それでもステアリングを握り、アクセルを開け、挑み続ける。ーHPより

「5年間レースをしたら生き残れる確率は3分の1しかない」時代の貴重な記録

「5年間レースをしたら生き残れる確率は3分の1しかない」そう話したのは、ほかならぬジャッキー・スチュアート。本作の舞台は1971年のモンテカルロ。そう、モナコ・グランプリだ。

映画監督のロマン・ポランスキーは、すでに世界チャンピオンの座を射止め、天才の名を欲しいままにしていたF1レーサー ジャッキー・スチュアートとモンテカルロにいた。二人は友人として、モナコ・グランプリの週末を一緒に過ごしていたのだ。
ポランスキーは、この機会をまたとない幸運であると考え、カメラマンを雇い、ジャッキーとの濃密な時間を映像に収めることにした。

そして彼は確かに幸運だった。ジャッキー・スチュアートはこのモナコ・グランプリで劇的な優勝を果たしたのだから。ポランスキーの試みは果たして、F1の中でも最も華やかで人気の高いグランプリで優勝する友人の姿を、レース前のリラックスした表情から徐々にストレスとプレッシャーで苛立っていきながらも、勝利を収めるまで、フィルムに収めることができたのだ。

ただ、この映像フィルムは『ウィークエンド・チャンピオン ~モンテカルロ 1971~』として、1972年にベルリン映画祭で賞を獲得したものの、商業的な成功を危ぶむ声の前に、結局劇場公開されることはなかった。

しかし、40年もの長い時を超え、撮影したポランスキー監督でさえ、このフィルムの存在を忘れかけていた頃になって、本作は再編集されて、劇場公開を果たすことになった。現代の技術によって鮮やかに蘇った映像は、1971年の、安全性も今とは比較にならないほど低く危険なレースに挑む、ジャッキー・スチュアートをはじめとする多くのレーサー、関係者の生々しくも美しい真実の素顔を我々に伝える貴重な歴史の証言となったのである。

画像: 舞台は1971年モンテカルロ weekendofachampion.euro-p.info

舞台は1971年モンテカルロ

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画像: 市街全体をサーキットにする、F1でも最大の人気を誇るレース、モナコ・グランプリだ。 weekendofachampion.euro-p.info

市街全体をサーキットにする、F1でも最大の人気を誇るレース、モナコ・グランプリだ。

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画像: 当時のF1レースの最大のスター ジャッキー・スチュアート(左)と、彼の友人であり映画監督のロマン・ポランスキー weekendofachampion.euro-p.info

当時のF1レースの最大のスター ジャッキー・スチュアート(左)と、彼の友人であり映画監督のロマン・ポランスキー

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危険なレースを生き抜いた男が それでもレースを愛していることがよくわかる、上質なドキュメント

本作の舞台は前述したように1971年だ。
いまから40年以上前のF1レースは、文字どおり死と隣り合わせの仕事であり、命がけの"仕事"だった。世界最高峰のマシンとはいえ、コンピューター制御されて 常にクルーたちに状態を管理されるような洗練されたデジタルなマシンではなく、あくまでアナログな”機械”だ。走る舞台もまた、いまのように安全対策に万全を期した進化したサーキットではなく、事故を起こせば死に直結しかねない、”野蛮”な場であった。

特に市街地でレースを行うモナコ・グランプリの危険性は著しい。逆に言えばそんなスリリングな場所であるからこそ、ファンは熱狂し、その場所でのウィナーは尊敬される。このころのF1レーサーは闘牛士に例えられることもあったように、命と引き換えにスピードと名誉と金を得る、真の勇者として扱われていたのである。

しかし、現代ではそんな、レーサーに命がけの冒険を押し付けるようなことはできない。もちろんレースが危険なビジネスであることは間違いないが、それでもジャッキーがいうように3人に2人が命を落とすようなことは、現代のレースではありえない。

それは、レースの関係者たちが時間をかけて、マシンやサーキットの安全性、医療大勢の充実など、レースをより安全に遂行できるような環境を作り上げてきたからだ。そして、その旗振りを努めてきたのがほかならぬジャッキー・スチュアートだった。

本作の終わりに、ポランスキーとスチュアートは40年の月日を経て、1971年に宿泊したホテルの同じ部屋で語り合い、60-70年代に起きた多くの悲惨な事故で命を落としたレーサーたちへの想いを語り合う。このドラマにストーリーはない。上質のドキュメントであり、前述したように まだ人間が凶暴な機械と取っ組み合って最速を目指していた時代の貴重な歴史的証言である。

誰にでも面白いと感じられる映画ではない。観る人を選ぶ作品だ。
しかし、車やオートバイが好きでモータースポーツを愛する(つまり多少なりともリスクをとって人生における刺激を得ようとするような)人なら、ぜひみるべきだ。

ジャッキーはいう。
「60-70年代、レースは恐ろしく危険だったがセックスは安全だった。まだエイズがなかったからね(笑)」
彼のこうしたユーモアが、観る我々に救いをくれると同時に、危険な時代を生き抜いた彼がいまでもレースを愛しているということを教えてくれるのである。

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