大薮春彦の処女作であり、日本のハードボイルドの金字塔『野獣死すべし』(角川文庫 1979 ISBN:4334723489)を知っているだろうか。
ロレンスの読者の皆様なら、『汚れた英雄』の作者といえば、ピンと来るだろう。大薮春彦は基本的に銃と暴力と車(もしくはスピード)を題材とした、ハードボイルド小説の第一人者だった。

クライムサスペンスの傑作

『野獣死すべし』の主人公の伊達邦彦は、大学院で英文学を専攻する青年だ。見た目は非常に秀麗で、爽やかな美貌の持ち主で、鍛え抜かれた強靭な肉体を洗練された物腰と洒落た服装で隠している。

彼はその見かけと裏腹に、荒廃した憎悪に満ちた精神をその体に宿しており、金と銃器しか信じない男だった。彼はボクシングや射撃、巧みな運転技術の習得など、自身の鍛錬に多くの時間を費やし、自分の体力と知力の限りを尽くして挑戦する何かを探していた。そしてそれは、大学入学金強奪計画という具体的な形となって、彼の心に宿り、実現に向かって全ての歯車が合い始めるのだ。

邦彦は自分の青春の全てを賭けるに足る目標を手に入れたことで、精力的に活動を始める。警官を殺害して銃を奪ったり、暴力団の賭博場から金を巻き上げるなど、大いなる目標の実現に向けての準備やトレーニングを繰り返していくのである。
やがて邦彦は、計画に必要な駒として真田という男と知り合い、彼を徐々に洗脳することに成功する。また、計画の実行のために必要な女を、その美貌で口説き落としていく。そしてついには計画を実行に移して、首尾よく大金を手に入れるのである。

画像: クライムサスペンスの傑作

伊達邦彦の昏い狂熱

邦彦は戦地であったハルピンで生まれ育った。
経営者の父親は部下の裏切りで会社を失い、家族は命からがら日本に戻ることができた。幼い邦彦は多くの死と残虐な行為が繰り返される日々に、徐々にその精神に不吉な黒い影を宿すようになる。金がないやつ、体力がないやつが次から次へと脱力していく中で、彼には金で買えるもの以外はろくなものがない、ヘマをした奴がくたばるのは当然だという昏い思念にとらわれていくのである。

邦彦は考える。「犯罪は引き合う」と。
幼い頃から死と隣り合わせに生きてきたことで、彼にとっては他人の死は取るに足らないことにすぎない。人の命を奪うことにも抵抗のない彼は、犯罪によって金を稼ぐ、という思いに夢中になっていくのだ。

「野獣死すべし」の魅力とは

本作を読んで、犯罪そのものに魅力を感じるということはもちろんない。

ただ、ダークヒーロー伊達邦彦に憧れるのは、ある種の中二病であって、男なら誰でも憧れるであろう”銃”、”美しい女”、”速い車”といったエッセンスが満載の大薮春彦作品に夢中になった人は多いと思う。大薮春彦作品の渇いた文体、非情に徹した描写など、ハードボイルド小説の基本的なスタイルに痺れた人も多いはずだ。感情描写をせず、映画を見ているかのように、あくまで外から推し量れる表情や言動だけで、内面を読者に想像させる。それが本来のハードボイルドのテクニックであり、初期の大薮作品はこのテクニックに非常に従順である。

「野獣死すべし」は大薮春彦の処女作であり、それがゆえに、本当のハードボイルドを書く、という彼の強い情念が見て取れる。時としてやりすぎなくらいで若さを感じさせるところがまたいいのである。

伊達邦彦は犯罪計画に夢中になったが、舞台を変えてみれば、例えばビジネスに身を置くことが可能であったとしたら、彼は優秀な起業家になったかもしれない。『汚れた英雄』の主人公北野晶夫は、伊達邦彦ほど社会に対する強い憎悪や不信感を抱いておらず、たまたま知ることになったオートバイの世界に夢中になっていくが、本来持っている目的に対して一途でひたむきに挑戦していく、という基本的な性向はほぼ同じである。

つまり、伊達邦彦は運悪く悪意と憎悪にまみれた人生をスタートし、犯罪者になっていくが、きっかけが違えば、別の世界の成功者になっていたはずなのである。

そう考えると、伊達邦彦のように生きるというのは必ずしも悪事への道ではなく、目的に向かって己の全てを純化して、挑戦していく生き方を学ぶ、ということになるのではないだろうか。

松田優作主演の角川映画『野獣死すべし』は全くの別物。ただし、僕は嫌いではない、というか、これはこれで有りだと思っている。原作者大薮春彦さんは全否定したらしいが・・

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