だいぶ間があいてしまいましたが、シリーズ・マン島TT今昔物語の最終回をお送りします。
1世紀以上の歴史を持つマン島TTですが、1950年のTTは数あるマン島TTのトピックのなかでも、ひときわ大きなセンセーションを生み出した大会だと思います。第2次大戦前の1930年代、無敵艦隊という異名を授かるほどマン島TTで強さを発揮したノートン単気筒が、再びその速さを世界に誇示したのが1950年のTTでした。
![画像: 1950年セニアTT(500cc)、マンクスノートンを走らせるG.デューク。 www.curbsideclassic.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/ec0b7bbe5a508487bc6f4642b47fff6161a9491a.jpg)
1950年セニアTT(500cc)、マンクスノートンを走らせるG.デューク。
www.curbsideclassic.com第2次世界大戦が勃発する前の時代・・・1930年代末のロードレースGPは、1939年TTで優勝したBMWコンプレッサーのように、過給機(スーパーチャージャー)付きのマルチシリンダーが強さを発揮しました。戦後、過給機が禁止されたことにより、単気筒とマルチシリンダーの出力差は若干縮まりましたが、やはり高回転・高出力化に有利なマルチシリンダー車の出力的優位は明らかなものでした。
伝統の単気筒エンジンに固執したノートンは、車体を一新することで高出力なマルチシリンダー車に対抗することを志向しました。この時、白羽の矢が立ったのが「フェザーベッド」フレームという車体です。
フェザーベッドフレームはノートンオリジナルの設計ではなく、北アイルランドのレックスとクローミー、マカンザラス兄弟が考案したフレームです。この時代のモーターサイクル用フレームの多くは鉄パイプの接合に、重たい鋳鉄のラグを用いていました。フェザーベッドはこのラグを用いず、ステアリングヘッド部を起点・終点とする、2本のパイプによるダブルクレードル構造を最大の特徴としていました。
![画像: 後期型フェザーベッド(ワイドライン)。初期はシートレール側がボルトオン構造でした。 www.pashnit.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/7c106879d7fe8fd26ac080d0862a7ae5ca330e61.jpg)
後期型フェザーベッド(ワイドライン)。初期はシートレール側がボルトオン構造でした。
www.pashnit.comレイノルズ531マンガン-モリブデン鋼を使ったフェザーベッドフレームは、既存のフレームよりも軽く、そして高剛性でした。また旧来のプランジャーサスペンションを廃し、新たにスイングアーム機構を採用したことにより、後輪の路面追従性と乗り心地ははるかに向上。フェザーベッドという呼び名は、ノートンファクトリーライダーのハロルド・ダニエルの試乗後のインプレッション・・・「まるで羽根布団の上にいるみたいに快適だ」に由来するものです。
![画像: フェザーベッドフレームを採用した、1950年型マンクスノートン(ファクトリー車)。 www.motorcycleclassics.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/c8f39c00ef9f205348c3e4304d226c6f3016f10b.jpg)
フェザーベッドフレームを採用した、1950年型マンクスノートン(ファクトリー車)。
www.motorcycleclassics.com![画像: 1950年TT、ファクトリーノートンを整備するクルー。 www.ellan-vannin23.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/a1b2edc233fad0e176cfdb6dfc408f9c8ca508f2.jpg)
1950年TT、ファクトリーノートンを整備するクルー。
www.ellan-vannin23.com迎えた1950年TT、ノートンファクトリーチームは、これ以上望みようがないほどの完勝劇を披露しました。ジュニア(350cc)クラスでは、A.ベル、G.デューク、H.ダニエルの順に表彰台を独占。最高峰のセニア(500cc)クラスではG.デューク、A.ベル、J.ロケットの順で再び表彰台を独占。高出力なマルチシリンダーのライバルをものともせず、ふたつのクラスで表彰台を独占したのです。
![画像: セニア(500cc)クラスの上位3人。左からJ.ロケット、G.デューク、A.ベル。デュークの向かって右後ろの背広の人物が、ノートンチーム監督のJ.クレイグ。 riutat.suntuubi.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/8841db4a2903d9622cd7307198f0bb50153f73a8.jpg)
セニア(500cc)クラスの上位3人。左からJ.ロケット、G.デューク、A.ベル。デュークの向かって右後ろの背広の人物が、ノートンチーム監督のJ.クレイグ。
riutat.suntuubi.comこの翌年の1951年度、G.デュークはノートンのエースとして、350/500ccの両クラスのライダータイトルを獲得します。またこの年より、ノートンはフェザーベッドフレームのマンクスの市販を開始し、以降市販マンクスはプライベーターたちの最良の選択肢のひとつとして、1970年代初頭まで多くのライダーに愛用されました。
ノートンがフェザーベッドフレームで示した、「優秀な車体・ハンドリングは、出力のハンディキャップを覆す」という事実は、その後広くモーターサイクルの世界で伝播することになります。フェザーベッド・ノートンで活躍したデュークは、1953年にイタリアのジレラに移籍し、フェザーベッドのノウハウを得たジレラ4気筒を駆り1955年まで世界GP500ccクラス3連覇を達成します。1950年代も単気筒に固執したノートンは、やがてフェザーベッドを模した車体を得たライバルたち相手にジリ貧となります。そしてレース活動に熱心になるあまり経営的危機に陥り、同国のライバルであるAMCグループ(マチレス・AJS)に吸収される運命をたどります。
![画像: フェザーベッドの影響が色濃い、カワサキZ1のフレーム。 www.gd-paint.net](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/23fbac862e0a744fc749df130869d1b0d84f794a.jpg)
フェザーベッドの影響が色濃い、カワサキZ1のフレーム。
www.gd-paint.netまた、量産モーターサイクルの分野でも、世界各国のメーカーはノートンフェザーベッドの影響を強く受けたフレームをコピー的に作りました。カワサキZ1/2、ヤマハRD56以降のロードレーサー(TD2など)、BMW /5シリーズ・・・いわばフェザーベッドは、第二次大戦後、1950〜1970年代のフレーム作りのひとつのベンチマークになったとも言えるでしょう。
![画像: 2013年のマン島クラシックTTをマンクスノートン(レプリカ)で走るB.アンスティ。彼は現在のマン島TTの絶対コースレコードの保持者です。 mcintoshracing.files.wordpress.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/54270d052ba1c45acb709dc3eb717e48d198882b.jpg)
2013年のマン島クラシックTTをマンクスノートン(レプリカ)で走るB.アンスティ。彼は現在のマン島TTの絶対コースレコードの保持者です。
mcintoshracing.files.wordpress.com1970年代初頭に、一度市販レーサーとしての役目を終えたマンクスノートンですが、1970年代末に始まったヒストリックロードレースで再びその実力が脚光をあびることになりました。1980年代末には完全新車で再現したレプリカのマンクスノートンが販売されるようになり、今でもマンクスノートン(レプリカ)は、新車での購入が可能です。
![画像: 公道でマンクスノートンの走りを楽しむために作られたモデル、トンキン・トルネード。ベースとなるのは、マンクスレプリカの第一人者、アンディ・モルナーの製品です。 www.motorcycleclassics.com](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781465/rc/2015/04/08/cef52a8ce810a692c625fde6c6a716e2b04fdfe1.jpg)
公道でマンクスノートンの走りを楽しむために作られたモデル、トンキン・トルネード。ベースとなるのは、マンクスレプリカの第一人者、アンディ・モルナーの製品です。
www.motorcycleclassics.comThe Right Line
youtu.be市販のマンクスノートンは、M.ヘイルウッド、P.リード、J.レッドマンなどなど、数多くのGP王者、そしてチューナーを育てたモデルでした。この名市販レーサーのルーツが、その潜在能力を遺憾なく発揮した1950年TTは、やはり歴史的に特筆すべき大会と言えるのではないでしょうか。こちらのムービーは、当時のマンクスノートンのテスト風景をおさめたものです。ライディングをするのは、名手B.マッキンタイヤです。その走りの雰囲気を、ぜひムービーでご堪能ください。