1976年を最後に、マン島TTは世界ロードレースGPのステータスを失いました。1970年代に入ってからは、多くのGPライダーが公道レースであるマン島TTの危険性を訴えるようになります。そしてFIMもそのプレッシャーを受けて、GPの舞台を英国本土のシルバーストーンに移すことを決めました。その結果、翌1977年のTTの参加ライダーは英国人がほとんどを占め、それまでの70年間で築いてきた世界最高峰のロードレースとしての価値は失われ、マン島TTは数多あるローカルレースのひとつ・・・という見方をされることになりました。

"オールタイムベスト"にあげられるライダー


画像1: 1978年TT・・・マン島今昔物語 #2

出展:http://www.rugbymasons.org/hailwood/mike.htm


1978年に、そんなマン島TT人気の"クライシス"を払拭したのは、2輪ロードレースから引退して久しいマイク・ヘイルウッドでした。今も昔も、モータースポーツファンが好んで話題にするのが、「オールタイムベストのレーサーは誰か?」という話題です。良識派の人は「マシンも、コースも、ライバル関係も異なる時代で、それを論じることの意味はない」と訳知り顔で一蹴する話題でもありますが、誰が一番優れたレーサーだったか・・・そういう興味を持つことは自然なことに違いありません。

画像2: 1978年TT・・・マン島今昔物語 #2

出展:http://www.mundomoto.esp.br/wp-content/


ヘイルウッドがGPのレギュラーだったのは1958〜1967年の期間でしたが、21世紀を迎えてから久しい今も、彼を「オールタイムベスト」にあげる人は少なくありません。前述のとおりこれは意味のない比較であり、それを証明する術はありません。しかし、その意見についつい同意してしまう根拠となる事実は少なくはありません。


ヘイルウッドの初タイトル、1961年250ccクラスでは、彼はファクトリーマシンであるホンダRC162を得ていましたが、待遇はファクトリーライダーではなく、今でいうサテライト(正確には現代のサテライトより待遇が悪い)でした。また、同時代のライバルと比較しても彼の力量の確かさは明らかであり、時々ヘイルウッドは戦闘力の劣る車両で、ライバルを圧倒する走りを披露しています。また小排気量から大排気量まで、カテゴリーを問わず常にレーシングライダーとして高いパフォーマンスを発揮したことも、彼の実力の高さの証左です。


画像3: 1978年TT・・・マン島今昔物語 #2

出展:http://coolspotters.com/files/photos/670383/mike-hailwood-and-mv-


クルト・ワイルの有名なミュージカル「三文オペラ」の主人公マック・ザ・ナイフをもじって、「マイク・ザ・バイク」と呼ばれた天才ライダーは、1967年のホンダファクトリー撤退の余波を受けて、2輪GPレースから4輪レースへ転向をする流れとなりました。1972年に欧州4輪F2王者となったヘイルウッドはF1にステップアップしますが、1974年の事故を契機に4輪レースから引退することになりました。


モータースポーツ史上最大のカムバック劇


そんな彼が、1978年のマン島TTのF1クラス(公道車改造1000cc)にNCRのドゥカティ900SS改で出場することになったのですが、多くのメディアは客寄せパンダ的な目でヘイルウッドを見ていました。このF1クラスの優勝候補は、ホンダUKワークスのファクトリーマシン(欧州耐久選手権で無敵を誇ったRCBの車体に、CB750FOURエンジンをチューニングして搭載)を駆るP.リードでした。ヘイルウッドが乗るNCRドゥカティは最高出力87馬力までチューンされていましたが、ホンダ4気筒のそれははるかに上回る数字だったのです。


画像4: 1978年TT・・・マン島今昔物語 #2

出展:http://www.mikethebike.com


しかしヘイルウッドは、多くの予想を裏切る快走を見せ、P.リードに約2分の差をつける平均108.51mphのレコードタイムで優勝。2輪GPから退いてからの約10年のブランクをものともせず、依然彼が「マイク・ザ・バイク」であることを世の中に示したのです。

出展:pistarino1


翌1979年のマン島TTでも、ヘイルウッドはスズキRG500に乗りセニアクラスを制覇。再びマン島TTに熱狂を呼び起こしました。これら一連の華麗なカムバック劇を演じたヘイルウッドですが、1981年に交通事故で愛娘とともに死亡。この訃報に、世界中の多くのモーターサイクルファンが悲しみにくれることとなりました。


1979年、ドゥカティは歴史的なヘイルウッドのTT勝利を記念したモデル、通称MHR=マイク・ヘイルウッド・レプリカを販売しました。このMHRのデザインは後継モデルの1000ミレにも受け継がれ、多くのモーターサイクルファンに好評とともに受け入れられました。なお長い世界ロードレースGPの歴史のなかで、3クラス以上のタイトルを獲得したライダーは、バレンティーノ・ロッシ、フィル・リード、マルク・マルケス、そしてこのヘイルウッドの4名しかいません。


画像5: 1978年TT・・・マン島今昔物語 #2

出展:http://www.ducati.com/

※第3回は、こちらのリンクからお読みください。

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