2017年にスタートし、2025年が最終シーズンとなったFIM(世界モーターサイクリズム連盟)SSP300世界選手権ですが、最後の年のウィナーマシンとなったのはベナート フェルナンデスが駆ったKOVE(コーベ)321 RR-Sでした。

2017年創業の、オフロード車メーカーのイメージが強いですが・・・

KOVEモトは2017年に中国の重慶に設立された新興メーカーですが、2021年に2万台を販売し、年間平均成長率40%という勢いをみせました。日本でもKOVEジャパンが800Xラリー、450ラリーなどのオフロードモデルを販売し、日本のオフロードファンの話題になっています。

中国・重慶で開催されたモーターサイクルショーで、初公開されたKOVEの新型デュアルパーパス「MX450 DUAL SPORT」。日本導入は2026年第二四半期予定・・・とのことです。

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そんな背景もあり、日本では中国のKOVEといえばオフロードのイメージが強いですが、KOVE公式サイトをご覧になればわかるとおり、オフロード車以外にもKOVEはネイキッドの250R、350R、450R、そしてフルフェアリングを備えたスポーツモデルの250RR、350RR、450RRをラインアップしています。

そんな同社製スポーツモデルのプロモーションも兼ねて、KOVEはSSP300に参戦していたのですが、2024年度には中国ブランドとして初のSSP300優勝を達成。2025年度はカワサキ15台、ヤマハ12台、KTM3台というライバル勢を打ち負かし、中国勢初のウィナーマシンとなりました!

2025年SSP300第6戦アラゴンラウンド、ゼッケン7のKOVEを走らせるB.ヘルナンデスはレース1を3位、レース2を10位で終えました。

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2023年に始まったKOVEのSSP300への挑戦ですが、開幕戦オランダラウンドでは最下位という悲しい初陣の結果に終わりました。しかし同年イタリアラウンドで初ポイント、2024年カタルーニャラウンドでは中国勢初の2位表彰台を獲得。さらに同年ヘレスラウンドではついに初優勝を記録しました。

2025年、ヘルナンデスとKOVEのコンビは5度のベストラップ更新、3位2回、2位2回、そして優勝3回という安定した成績を残し、日欧メーカーを相手に中国勢初のタイトル獲得に成功しています。FIM統括のモータースポーツで、日欧米以外のメーカーがタイトルを獲得した先例としては、2024年にロス ブランチがインドのヒーローに2024年FIM世界ラリーレイド選手権プレゼントしたことがありますが、ロードレースの分野においてはKOVEのSSP300制覇が初の快挙となります。

中国業界人の情熱の高まり・・・が鍵になる!?

ホンダ、カワサキ、ヤマハ、スズキという4大メーカーの本拠所在地ということもあり、日本では中国製2輪の存在感はそんなに大きくないというのが実情です。しかし海外に目を向けると、QJモーターやCFモトをはじめ中国勢の2輪輸出は北米、南米、欧州、アジア、アフリカと全方位的に伸長傾向を維持しています。

第二次世界大戦の敗戦後に生まれた日本4大メーカーは、1950年代末から1960年代にかけて海外市場に活路を見出し、そのプロモーションと技術研鑽、そして人材育成の場としてモータースポーツを活用しました。現時点ではKOVEのようにFIM世界選手権に挑戦するメーカーは少ないですが、日本の成功例に倣ってKOVEに続くメーカーも、もしかすると中国勢のなかから出てくるかもしれません?

KOVEレーシングチーム109は、SSP300の代わりに2026年度から立ち上げられるFIMスポーツバイク世界選手権に、最後のSSP300王者のB.ヘルナンデスとドイツ人ライダーのフィリップ トン(写真)を起用して参戦。マシンは並列4気筒を搭載する、KOVE 450RRです。

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人口で約11.5倍、名目GDPで約4.5倍など、さまざまな経済指標ではるかに日本の上をいく中国は、まぎれもない超大国です。ただ、超大国産のマシンが必ずしも頂点に立つわけではない・・・のがこれまでのモータースポーツの世界でした。

歴史を振り返ると、MotoGPおよびその前身の500ccといった最高峰クラスを制したマシンを作ったのは、英国(AJS、ノートン)、イタリア(ジレラ、MVアグスタ、ドゥカティ)、日本(ヤマハ、スズキ、ホンダ)の3つの国しか存在しません。

20世紀からずっと超大国の地位にいるアメリカのブランド、ハーレーダビッドソンは1970年代半ば、当時存在した250/350ccクラスでタイトルを獲得しています。しかし車両自体はイタリアのアエルマッキが開発したものでチーム運営も欧州人主体・・・いわゆるバッジエンジニアリング的な戴冠でありました。

1949年から今日までの経緯を見る限りの話ではありますが、MotoGPやかつての500ccクラスに勝てるマシンを作りたいという情熱のあるスタッフが開発やレースの現場にどれだけいるかいないかが、最高峰を制するマシンを産んだ国になれるかなれないか、その結果に直結するといえるのでしょう。

もちろん国の規模がまったく関係ないわけではないですが、超大国のアメリカの場合は戦前および戦後の一時期を除けばメジャーメーカーがハーレーダビッドソン1社だけで、もっぱら東西=日本と欧州の2輪車を輸入して消費するのが主でした。つまり2輪車を輸出して外貨を稼ぐことに重きをおく日欧勢とは、そもそもその立場が違うのです。

EICMA 2025のステージに、SSP300を制したKOVEと共に立つB.ヘルナンデス。多くのオファーに断りをいれてチームに残留し、FIMスポーツバイク世界選手権の初年度を戦う選択をしました。

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中国製ICE(内燃機関)搭載2輪車のうち、趣味のスポーツモデルの多くは輸出市場をターゲットにしたものです。その点では超大国米国よりは、日欧勢にその立場は近いといえます。ただ現実として今FIM統括の世界選手権に参加している中国勢はKOVEだけであり、他のメーカーがどれだけモータースポーツに関わることに、興味を持っているのかはわかりません。

先ほど宣伝、技術研鑽、人材育成と企業がモータースポーツをすることの意義を書き連ねましたが、景気後退や業績悪化であっさり参戦休止するという多くの過去例が示すとおり、企業のやることとしてモータースポーツは二の次、三の次、四の次、五の次・・・ともいえます。

35年、2輪業界に携わってきた人間の愚考ですが、取材で接した多くの国内外モータースポーツ関係者の声を集約すると、彼らは皆「好きだからやってる」のひと言に尽きるでしょう。そして国の名誉や企業への貢献という意識もゼロではないですが、基本は利己的な満足が動機になっているように思えます。あくまで「愚者は経験に学び・・・」ベースの愚考ですが。

現時点で中国国内でモータースポーツの知見を持つ者の数は日欧に比べれば圧倒的に少ないですが、そのなかからMotoGPを制するマシンを作る!! と考えるクレイジー(※褒め言葉として)な人がドンドン出てきたら個人的には面白く、モータースポーツファンのひとりとしてそうなってほしいなと思います。

1951年にノートンに乗り3度世界王者となった英国人のジェフ デュークは、1953年に伊ジレラに移籍し同年から1955年の間3度最高峰クラスを制覇しました。契約後間もなくデュークは友人である鋼管スペシャリストのケン スプレイソンをジレラ工場に連れて行き、ハンドリングに難があったジレラ4気筒レーサーのフレーム改良に従事させたそうです。この例のように、1950〜1960年代に英国人GPライダーが、日伊メーカーの車両のハンドリング向上に貢献したように、欧州勢がレースの現場を通して中国勢の技術向上の助けになる・・・なんてことも起きるのかもしれません?

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コンピューターによる設計支援や情報技術が極めて進んでいる今、超大国である中国が日欧と同水準のスペックの2輪車を作ることは、そんなに難しいことではないかもしれません。ただ数値化が難しいハンドリングのまとめ上げなどの領域では一朝一夕にはいかないというか、日欧レベルの蓄積を彼らが持つのはなかなか大変なことに思えます。

残念ながら今まで、中国メーカーの関係者にインタビューをしたことはないのですが、モータースポーツに関する各メーカーの人の本音をいつか聞いてみたいと思います。ともあれ、KOVEが新設されるFIMスポーツバイク世界選手権で、2026年度にどのような活躍をするのか注目したいです。