webモーターマガジンに掲載されている『ボローニャの古典車ショー「アウト・エモト・デポカ2025」。イタリア人日本車ファンの熱き語りと共に』は、イタリア在住の大矢アキオさんによる伊ボローニャの2&4イベント、「Auto e Moto d'Epoca Bologna」のレポートです。記事中に登場するホンダNS125Rについて懐かしくなってしまい、ちょっとこのモデルについて語りたい気分になってしまいました。

1987年、日本でも限定販売されました

上のリンクの「Auto e Moto d'Epoca Bologna」のレポート内では、大矢さんの知人のアンドレアさんが当時のイタリア2輪事情を語っているのですが、当時の日本車がどのように評価されていたのかがうかがえて非常に興味深いです。

レポート文中にあるとおり「アドリアティコ」の名が与えられたNS125Rは、1987年7月にホンダ イタリア インダストリアーレ社より日本へ輸入され、ホンダより日本のユーザーに限定500台で販売されました。

画像: NS125Rは当時、37万9,000円の価格で日本で売られています。いかにもイタリアン!! な赤、白、緑のカラーリングが映える1台です。 global.honda

NS125Rは当時、37万9,000円の価格で日本で売られています。いかにもイタリアン!! な赤、白、緑のカラーリングが映える1台です。

global.honda

ヴィットリオ社とソルファー社を知っている方は、なかなかのイタリア通?

当時イタリア政府は輸入車にかなりの関税をかけていたため、ホンダは現地法人に激戦区マーケットである125ccクラスのモデルを製造販売させていました。日本のホンダが販売したNS125Rは日本市場専用版で、ホンダ イタリア インダストリアーレ社にとっては初めて欧州圏以外へ輸出された記念碑的モデルでもありました。

ホンダブランドのモデルではありますが、実のところイタリア車であるNS125Rについては日本で詳細が紹介されることは少ないです。日本市場仕様のようにフロントダブルディスクブレーキを装着するモデル(NS125RⅡ)のほか、フロントシングルディスクブレーキのNS125RⅠが存在していたことは、あまり日本では知られていないかもしれません。なお伊国内スポーツプロダクション選手権のベースモデルとしても当時NS125Rは活躍しましたが、フロントダブルディスク禁止レギュレーションによって、使用されたのはNS125RⅠの方でした。

画像: - YouTube youtu.be

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NS125Rの特徴は、イタリアのサプライヤーの部品が全身に使われているところです。キャブレターはデロルト社、ホイールとフロントブレーキはグリメカ社、タイヤはピレリ社、フロントフォークとリアショックはマルゾッキ社、フレームはベルリッキ社・・・とイタリアの著名ブランドの部品が採用されています。

ところでジラルドーニ社とソルファー社は、上記サプライヤーと違って日本ではあまり存在が知られていないでしょう。ジラルドーニ ヴィットリオ s.p.a.は1957年以来クロームメッキライナー付きアルミシリンダーを製造しているシリンダーのスペシャリスト企業で、NS125Rにはニッケル/シリコンカーバイト処理を施したシリンダーを供給しています。

そしてNS125R用マフラーを作ったソルファー コンポネンティ s.r.l.(1961年創設)は、1970年代にフィアットやイヴェコ向けにサイレンサーなどを供給を開始した会社です。1980年代からはホンダグループとも関係を結び、OEMの排気系部品を供給。その後もアプリリア、ピアッジオ、ヤマハ、BMWモトラッドなどともパートナーシップを維持しています。

・・・とNS125Rに関する、大多数の日本の方が欲していないような話を、グダグダと書き連ねてしまいました。なにとぞご容赦ください(苦笑)。

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