ライトニング・モーターサイクルズの苦境に、救いの手を差し伸べたコービン
アメリカのライトニング・モーターサイクルズが同社のLS-218という2EVを使い、2012年に時速218マイル≒351km/hという2EV最速記録を更新したことは、当時2EV業界で大いに話題となりました。また2013年には、故カーリン・ダンがLS-218を駆ってパイクスピークインターナショナルヒルクライムに参戦。ICE(内燃機関)車の並み居るライバルたちを打ち負かして、2輪部門の総合優勝を果たしたことも、ライトニング・モーターサイクルズの名声を飛躍的に高めました。
2014年から販売されたLS-218は上述の記録から「量産2EV最速車」の称号が与えられました。しかし、2EVメーカーとしてのライトニング・モーターサイクルズの歩んできた道程は平坦なものではなく、COVID-19の影響による財政難で同社は多くの従業員の解雇と、カリフォルニア州サンノゼ本社の放棄を強いられてしまいました・・・。そもそもサンノゼ本社はかつての本拠地の5倍の敷地を誇り、2019年からリリース予定だった新作2EV「ライトニング ストライク」の生産能力を拡大するために建設されたものでした。
そんな苦境に陥ったライトニング・モーターサイクルズですが、そんな彼らに救いの手を差し伸べたのは、アフターマーケットのシートおよびアクセサリーメーカーとして、50年以上の歴史を持つ老舗名門ブランドの「コービン」でした。
カスタムバイク好きの人であれば、その名を知らない者は誰ひとりとしていない・・・と言えるほどコービンは有名なアメリカンブランドですが、2EVエンスージャストのなかで「コービン」の名を知らない者はいない・・・と同じように言えるほど、コービンは「2EVの歴史」にもその名を残す大きな存在なのです・・・。
1970年代から、"電動モビリティ"に関わり続けるマイク・コービン
コービンブランドの開祖、マイク・コービンは1953年公開の映画「乱暴者(あばれもの)」を観てバイクファンになりました。ベトナム戦争中、米海軍に入隊したコービンは技師として電気を学び、退役後には自営の電気技師として働いていましたが、バイクへの愛から1968年にフルタイムのビジネスとしてバイク用シートメーカーである「コービン」を開業。当時の北米市場におけるバイクブーム、そして彼の卓越したデザインセンスと作る製品の確かさにより、コービンのシート・ビジネスは瞬く間に急成長を遂げることになりました。
コービン開業から間もない1970年代初頭、コービンとその仲間たちは電動バイクを作りたいと考え、まず最初に「シティバイク」というシンプルな構成の2EVを生み出しました。しかし、当時の人々からの評判は「電動車はあまりに遅すぎる」というもの・・・。そこでコービンらは速度記録の聖地であるユタ州ボンネビルに持っていくための2EVを作り、電動車は速く走れるということを人々にアピールすることを考えました。
コービンらのボンネビル速度記録挑戦は1972年が最初で、そのときに搭載したバッテリーは鉛タイプでした。彼らの2EVはボンネビルを走った初の2EV速度記録車だったため、往復平均時速101マイル≒162.5km/hの記録により、彼らにとって最初の「電動車最速」の称号を得ることになりました。
そしてコービンらの活動に興味を持った、コネティカット州ポーカタックにあるヤードニー・エレクトリックが、コービンらのスポンサーとなりました。同社は原子力潜水艦用の銀/亜鉛バッテリーを製造しており、その製品は当時の鉛バッテリーの約5倍もの高エネルギーを持っていました。
1974年には、ヤードニー製の銀/亜鉛バッテリーを搭載する速度記録車「クイックシルバー」を製作してボンネビルに再挑戦。そして往復平均時速165.387マイル≒266.164kmという記録を叩き出し、自らのレコードを更新することに成功しました。
現代の電動速度記録車が使うような、高効率・高性能な交流モーターが入手できなかった時代・・・さらにバッテリーへの充電(交流220V)方法の確保にも苦労するような状況のなかで、コービンらのクイックシルバーが残した大記録は先述のとおり38年間も破られることはありませんでした。
マイク・コービン
「この記録は多くの人に挑戦され、何年もの間に15台のバイクが我々の記録に挑戦してきた。私はそのうちの2、3台を見に行った。私はバイクを見れば、どれくらいのスピードが出るかわかるのですが、彼らは皆、すべて間違っていました。ライトニング(モーターサイクルズ)が登場したとき、彼らはバッテリーの化学的性質を理解していました。それに加え、今の交流コントローラと交流モーターは信じられないほど素晴らしい。現代はそのようなすごい機器・装置があるので、電気自動車でできることはほぼ無限大に近いのです。しかし当時は、直流しか方法がありませんでした。直流電気は、それ自体が大きな制約となります。すべてが重くなり、アンペア数も高くなります」
ライトニングとコービンのコラボが、新記録樹立に結びつくか!? 期待しましょう!
ボンネビルでの記録更新の後、コービンらは公道用2EVでワシントン山頂までの8マイル≒12.9km・・・平均勾配12%、99のヘアピンカーブが連続する難コースを、ノンストップで2往復するチャレンジに成功しています。
その後しばらくコービンらの電動モビリティ活動は休止することになりますが、1996年末のサンフランシスコ・オート・ショーにコービンは沈黙を破ってアルファカーコンセプトを出展。そして1998年から2003年の間には、コービン・モーターズから「スパロー」という電動3輪車をリリースしました。
結果的に第一世代のスパローは短命に終わりましたが、コービンは再び2017年から新たなスパローをEV普及期到来に合わせて復活させています。その事業を進めるためにコービンがパートナーシップを結んだのが、先の引用文のとおりコービンが「ボンネビル」で唯一認めた"電動技術"を持つ集団である、ライトニング・モーターサイクルズなのです・・・。
なお現在の2EV速度記録を保持するのは、2021年11月に時速283.182マイル≒455.737km/hを記録した、ヴォクサン・ワットマン(ライダー:マックス・ビアッジ)です。ライトニング・モーターサイクルズの目標は時速250マイル超えであり、ワットマンのような速度記録専用の特殊なストリームライナー形状ではなく、量産公道車の形態のままフェアリング改良などにより、大記録達成に挑むことになるのでしょう・・・。
長年、電動モビリティの可能性を追求してきたマイク・コービンと、ライトニング・モーターサイクルズCEO兼創設者のリチャード・ハットフィールドのコラボレーション・・・アメリカ代表チームとも言える彼らの2EV速度記録挑戦プロジェクトについては、続報が入り次第みなさんにご紹介していきたいと思います!