あの「トヨタ7」用以来? となる、"バンク間排気"を採用したヤマハ製V8 HICE
昨年11月13〜14日に行われたスーパー耐久最終戦「スーパー耐久レースin岡山」にて、カワサキ、スバル、トヨタ、マツダ、ヤマハの5社が「カーボンニュートラル実現に向け、内燃機関を活用した燃料の選択肢を広げる挑戦」という衝撃的な共同発表を行ったのは記憶に新しいです。
その会見の場には開発中の車両など各社の「取り組み」が展示されましたが、そのなかでもヤマハが2018年に製作していたV8水素エンジンは多くの人に注目されました。ベースとなっているのはレクサスRC F(2014〜2019年)などに搭載されているガソリンエンジンの「2UR-GSE」であり、「バンク間吸気・バンク毎集合排気」から「バンク間排気・バンク毎サージタンク(インテークマニホールド)」にレイアウト変更されているのが、ヤマハ製V8 HICE外観の大きな特徴です。
真面目に調べていないのですが(すみません・・・)、今までヤマハが開発に関与して、公になったV型エンジンでバンク間排気のレイアウトを採用したのは、1960年代のレーシングカーである「トヨタ7」以来ではないでしょうか?
バンク間排気のレイアウトは、ホンダRA273およびRA300や1968年のフェラーリ312など、1960年代のフォーミュラマシンに好んで採用されたトレンドでした。バンク間排気は4輪レースカー用エンジンの場合、排気系と空間を争いがちなリア側懸架装置の、設計の自由度をキープすることができるレイアウトですが、1960年代末からVバンク外側に排気系をレイアウトするフォード・コスワースDFVエンジンが、4輪レースの世界で大流行するようになった1970年代以降は、採用されることが少なくなりました。
ヤマハのフォーミュラカー用V型エンジンの初代は、1984年発表の日本国内のF2用OX66です。気筒あたり5バルブの75度V型6気筒1,995㏄のOX66は、1985年の実戦投入を経て1986年より市販を開始。1987年からはレギュレーション変更に対応し、コスワースと技術提携してDFVをベースに5バルブシリンダーヘッドを搭載した90度V型8気筒2,993ccのOX77を投入しています。
その後のF1用OX88、OX99、OX10、OX11もバンク間吸気を採用。レース用以外のヤマハ製市販4輪車用V型エンジンについても、1988年よりフォードに供給した3リッターV型6気筒DOHC24バルブのSHOエンジン(スーパー・ハイ・アウトプットの意)など、やはりバンク間吸気というオーソドックスなレイアウトでした。
4輪車に搭載することを考えると、排気系が上方向にかさばるバンク間排気は車体フロント側に搭載することが難しくなるレイアウトといえます。あえてヤマハ製V8 HICEがバンク間レイアウトを採用したのは、HICEという新しいことにチャレンジをするとともに、先人たちの前例のない挑戦であったトヨタ7用エンジンへのオマージュ・・・と妄想してしまいますが、どうもバンク間排気については「官能性能」を出すという目的を達成するため、という意味が強いようです。
当社(※ヤマハ発動機)が自動車用水素エンジンの開発に着手したのは、およそ5年前のこと。開発メンバーの一人である山田健さん(当社AM開発技術部)は、プロジェクトが進展するにつれてある可能性の広がりを感じ始めていました。
「それは、100%水素を燃料とするエンジンが、じつは非常に楽しく扱いやすい動力特性を持っていたということです」と山田さん。「電子制御のデバイスに頼らなくても、元来水素エンジンは操作しやすいフレンドリーな特性を持っています。『どれどれ』という感じで試走した人たちが、皆、笑顔でクルマを降りてくる。そんな姿を見ているうちに、ガソリンの代用という消極的な動機ではなく、水素エンジンならではの特性に大きな可能性を感じるようになりました」と続けます。
もう一つ、山田さんらが開発の過程で大切にしているのが官能性能、つまり五感で感じる魅力です。たとえば、特徴的な8in1集合排気管が奏でるハーモニックな高周波サウンドもその一つ。「エンジニアとしてもやりがいのあるチャレンジ。動力性能だけでなく、まだ見ぬ内燃機関の魅力を追求していきたい」(山田さん)
信じているのは、100%水素エンジンの可能性。徐々に広がる仲間たちと手を取り合いながら、山田さんはその可能性に大きな手ごたえを感じています。
なお、このヤマハ製V8 HICEはレースカーや一部のスポーツカーに採用されている、ミッドシップレイアウトの車体に搭載されてテストされているそうです。確かに、EV以外のカーボンニュートラルへの取り組みとしてICEを活用するのであれば、騒音としてICEのデメリットにあげられる一方で、愛好家からは大きな魅力にあげられることの多いエキゾーストノートを磨き上げるのは、理にかなっていると言えるでしょう。
上の引用文のなかにある「高周波サウンド」がどのようなものなのか・・・。私たちが聴くことができる機会が来る日を、楽しみに待ちたいですね!
ICE用燃料としての水素の特性とは?
ICE用燃料としてポピュラーな存在であるガソリンなどと比較した場合、ICEに利用する燃料としての水素の特性とは・・・主に7つがあげられます。
1:幅広い燃焼性
2:低い着火エネルギー
3:消炎距離の短さ
4:高い自発火温度
5:化学量論比での早い火炎速度
6:高拡散性
7:超低密度
各項目を大雑把に説明(苦笑)すると、「1」については水素は他の燃料に比べ幅広い混合気の範囲で燃焼するので、希薄混合気によるリーンバーン運転が可能というメリットがあります。「2」は水素の着火に必要なエネルギー量は、ガソリンのそれに比べるとはるかに低いです。
「3」は水素は一旦着火したら消火するのが難しいので、火炎は他の燃料よりシリンダー壁に近づいてから消えます。ほぼ閉じた状態の吸気バルブを水素混合気の炎は通過しやすいので、バックファイア発生の傾向が強いです。
「4」は比較的高い自発火温度の水素は、ガソリンよりも高い圧縮比設定も可能です。「5」はガソリンに比べ水素は桁違いに火炎速度が速く、熱力学的に理想的なエンジンサイクルに近づけることができます。ただし希薄混合気設定にした場合は、火炎速度は低下します。
「6」は水素は空気中にガソリンより拡散する性質があります。万が一水素が漏れても速やかに空気中に拡散することは、安全面でのメリットです。「7」は水素は超低密度なので、航続距離を確保しようとするとガソリンよりも大きな燃料タンクが必要になります。また水素と空気の混合気のエネルギー密度は低いので、ガソリンを燃料とした場合よりも出力が低下してしまいます。
ガソリン仕様から水素仕様にする際、変更されたパーツは?
共同発表の場で展示されたV8 HICEの解説パネルには、ガソリン仕様の2UR-GSEから変更された部品はインジェクター、燃料パイプ、シリンダーヘッド、シリンダーヘッドカバー、チェーンカバー、サージタンク(インテークマニホールド)、エキゾーストマニホールド・・・と記述されていました。
HICEへ転用するのに必要な変更部品は思いのほか少ないな・・・と思いますが、吸排気バルブやカムシャフトなど、変更部品の「中身」のパーツは上述の燃料としての水素の特性や、水素脆化(ぜいか)対策で設計や素材のスペックが変更されている可能性はあります。
水素脆化とは、金属内部に水素分子が侵入することで強度や延性が著しく低下してしまう現象のことです。1個の陽子と電子で構成される最小の元素である水素は、当然金属結晶より非常に小さく、さらに水素分子は金属に接すると原子状またはイオン状になり、容易に金属内部に侵入する特性があるのです。
もっとも、ヤマハ製V8 HICEは量産車用ではない試作で、あくまで水素燃料の燃焼状態や制御をテストする目的で作られたものでしょうから、水素脆性などによる長期の耐久性などの問題はスルーして、燃焼室内の内部パーツはガソリン用2UR-GSEのものを使っているのかもしれません。
なお水素脆化のメカニズムについては100年以上研究されているものの、実は未だはっきりと解明はされていません!! しかし、カーボンニュートラルへのひとつの選択肢として燃料電池用やエネルギー貯蔵用として「水素」の活用が注目されている今、この分野の研究活動は加速するものと思われます(ちなみに2020年に九州大学は、水素侵入により鉄鋼の強度と延性双方の大幅な向上を図るという、水素脆化という固定観念を根底から覆す研究をしていることを明らかにしています)。
ガソリン仕様を大幅に上回る、HICEの低中速トルクの豊かさ!
共同発表時の展示の解説パネルには、ガソリン仕様の2UR-GSEとV8 HICEの仕様一覧も記載されていました。それを見ると、HICEの仕様は「左(ガソリン仕様)に同じ」を意味する「←」が5つもあるのがとても興味深いです。
ガソリン | 水素 | |
---|---|---|
エンジン型式 | 2UR-GSE | ーーー |
種類 | V型8気筒DOHC32バルブ デュアルVVT-iE | ← |
クランクシャフト | クロスプレーン(バンク毎は不等間隔爆発)1-8-7-3-6-5-4-2 | ← |
吸気排気レイアウト | バンク間吸気(排気はバンク毎集合) | バンク間排気(8-1等長エキゾーストマニホールド) |
内径x行程(mm) | 94x89.5 | ← |
総排気量(mL) | 4,968 | ← |
圧縮比 | 12.3 | ← |
最高出力[kW/rpm] | 351/7,100 | 335/6,800 |
最大トルク[Nm/rpm] | 530/4,800〜5,600 | 540/3,600 |
水素設定λ(A/F) | ーーー | λ=1(A/F=34) |
水素噴射燃圧 | ーーー | 10Mpa |
搭載車両(現行&国内のみ) | RC F、LC500 | ーーー |
着火エネルギーが低く、燃焼範囲が広く、消炎距離の短いというICE燃料としての水素の特性から、HICEではプレイグニッション(早期着火)やバックファイアの対策がHICEの設計上重要になります。2UR-GSEはデュアルVVT-i(吸気側は電動連続可変バルブタイミング機構)を採用していますが、HICEの場合は吸気・排気バルブのオーバーラップが大きいとバックファイアが発生しやすくなるので、HICEがガソリン仕様とは異なるバルブタイミング(および可変制御)を採用しているのかもしれません。
ボア・ストローク値、総排気量、圧縮比は変更がないので、ピストンはどちらも同じものを使っていると考えられます。水素はガソリンより高圧縮化、そして大きなボア・ストローク比にしやすいのですが、現時点ではそこまで水素ならではの特性は追求しない仕様なのでしょう。
なお水素エンジンの点火プラグは先端が非白金で、コールドタイプのものが望ましいです。これは水素燃料のネガであるプレイグニッションのしやすさの一因となる「ホットスポット」を、燃焼室内から排除するという観点からです。ちなみに2UR-GSEの指定プラグはデンソーの熱価20番(NGKでは6番)ですが、ヤマハ製V8 HICEではもっとコールドタイプの点火プラグが装着されているかもしれません?
多くの人が気になるであろう? 最高出力・最大トルクについては、ガソリン仕様が351kW/7,100rpm・530Nm/4,800〜5,600rpmで、ヤマハ製 V8 HICEが335kW/6,800rpm・540Nm/3,600rpmとなっています。性能曲線を見ると、トルクは4,500rpmあたりまでは大幅にV8 HICEの方がガソリン仕様を上回っているのが目を引きます(この記事に性能曲線を掲載できずスミマセン)。
上述の引用文中の「100%水素を燃料とするエンジンが、じつは非常に楽しく扱いやすい動力特性を持っていたということです」という、開発者の山田健さんのコメントは、このあたりの低中速のトルキーさを指してのものなのかもしれませんね。ただ、ヤマハ製V8 HICEの低回転〜高回転域のトルクカーブは「山あり谷あり」の線を描いており、このあたりに水素をICE燃料として使うことの難しさを感じてしまいました。
水素を使うメリット・・・「環境性能」についてはどうなんでしょう?
仕様一覧のなかで一番気になったのは、「水素設定λ(A/F)」の項目でした。λ=1とは、とは理論空燃比のことで、A/F=34はずばり水素の理論空燃比(空気34:水素1)の値です。火炎速度がかなり低下するためデュアル点火プラグなどの対策が必要にはなりますが、水素は着火エネルギーが少なく済むので非常にリーンな空燃比設定(例として130:1から180:1)が可能です。
ガソリンの理論空燃比は14.7:1ですが、理論空燃比で燃焼室の占有率ではガソリンは1〜2%に対し、水素は約30%に達してしまいます。つまり水素の理論空燃比の場合、燃焼室の空気の専有率は約70%になってしまいますから、混合気のエネルギー量はより多くの空気が占有するガソリンよりも少なくなってしまいます。
公表されたガソリン仕様の2UR-GSEとV8 HICEの出力差は16kWですが、この差はそれぞれの燃料の特性の違いが反映されたものなのでしょうか・・・? HICEはキャブレター仕様、ポート噴射、燃焼室直噴という水素の供給方法の違いで、ガソリン仕様よりも約85〜120%と、得られる出力が変化します。つまりヤマハV8 HICEのように直噴で吸気バルブが閉じてから(燃焼室内はほぼ100%空気)、水素を空気と混合させればガソリン仕様より高い最高出力を得ることも可能なのです・・・。
また水素の理論空燃比34:1でICEを運転すると燃焼温度が非常に高くなってしまい、汚染物質であるNOx(窒素酸化物)を大量に生成してしまいます。水素をICE燃料に使う大きなメリットは「低公害」ですから、通常HICEは理論空燃比で運転するように設計せず、2倍の空気を使用するように設計し、NOxの発生をほぼゼロにすることを目指す例が多いです。
ヤマハ製V8 HICEが34:1の理論空燃比設定なのは、現段階では「官能性能」優先で「環境性能」についてはあまり配慮していない仕様のため・・・なのかもしれません。展示パネルの解説には記載はありませんでしたが、NOx抑制やプレイグニッション防止策としてヤマハ製V8 HICEがEGR(排気ガス環流)システムを採用していたら、ガソリン仕様の2UR-GSEよりも出力が低いのも理由としては納得できます。
EGRシステムは排気ガスの一部をインテークマニホールドに再循環させる構成で、ガソリンICEにも採用される技術です。HICEの場合EGRシステムを採用することで、ホットスポットの温度を下げてHICEの持病であるプレイグニッションやバックファイアを防止させるとともに、燃焼ピーク温度を下げてNOx生成を抑制することができます。ただしEGRシステムにより排気ガスが燃焼室に導入されると、その分燃焼室に入れることができる混合気の量が少なくなるため、出力は低下してしまいます。
ヤマハ製V8 HICEはガソリン仕様よりも出力は出ているものの、EGRシステムで25〜30%の排気ガスを再循環させているから、トータルではガソリン仕様より出力が落ちている・・・? まぁこれも妄想の類ですが(苦笑)、このあたりの謎もいつの日にか解明したいですね。
直接「水素」に触れない部位は、ガソリン仕様と変わらない?
ガソリン仕様の2UR-GSEから水素仕様にするために変更したのは、水素と直に接する燃焼室まわりの部品が主ですが、水素に直には触れないクランクケースまわりの部品は、ガソリン仕様そのままなのでしょうか・・・?
HICEは、ガソリンICEよりもクランクケース内のベンチレーションが大事になります。未燃燃料がピストンリングの間をすり抜けて、クランクケース内に入るのはガソリンICEもHICEも一緒の現象ですが、水素はガソリンよりも着火エネルギーが低いので、クランクケース内で発火する可能性は未燃焼水素の方が高いです。
クランクケースに侵入した未燃焼水素の行く末は、音が出る程度の軽い燃焼で済む場合も、火が出るくらいヤバい場合もあります。どちらにせよ未燃焼水素がクランクケース内で燃焼すると、急激な圧力上昇が起こり機関各部に悪影響を与えます。それを解放するためのプレッシャーリリーフバルブなどを取り付けている・・・という記述は、展示の解説パネルにはありませんが、ガソリン仕様の2UR-GSEのクランクケースブリーザー回路だけでまかなえるのかどうか・・・も気になる点です。
このほかにも水素燃料ならではの技術があるのではないか・・・と、いろいろヤマハ製V8 HICEについて考察(妄想)しちゃいますが、本当のところはどうなのか、機密事項に抵触しない限りでも構いませんので、ぜひ開発者の方にインタビューしてみたいですね。バイク好きとしては、HICE搭載バイクの可能性についてもお聞きしたいのですが・・・。
「当社は、2050年にカーボンニュートラルの実現を目指しています。その一方で、社名に"発動機"とあるように、内燃機関への強い思いとこだわりを持った会社でもあります」(当社・日髙祥博社長)(略)「水素エンジンは、カーボンニュートラルと、当社の内燃機関への思いを同時に実現する可能性を秘めている。個性や得意領域が異なる各社と協力し合い、さらに仲間を増やしていくことで未来につなげていきたい」。発表の場で、日髙社長はそう話しました。
将来カーボンニュートラルの時代が到来しても、内燃機関にこだわりたいと考える愛好家は地球上にたくさんいるでしょう。そんな人たちの願いをかなえるために、これからのヤマハ発動機のHICEへの取り組みを応援したいですね!