北アイルランドの英雄、J.ダンロップのキャリア黎明期
マン島TTで26勝、アルスターGPで24勝、ノースウェスト200で13勝、そして世界TT-F1選手権で1982年から1986年まで5連勝でタイトルを獲得したJ.ダンロップは、キング・オブ・ザ・ロード(公道レース王)として多くの人に尊敬されるライダーです。
北アイルランドのバリーマネーに生まれたJ.ダンロップは、1980年代から2000年のエストニアでの事故死まで、長年ホンダライダーとして活躍しました。しかし1970年代のキャリア黎明期、J.ダンロップはホンダ車以外のマシンに乗っていました。初のTT勝利は1977年のジュビリーTT(マン島TT70周年記念大会)であり、シーリーフレームにヤマハTZ750エンジンを搭載したマシンで掴んだ1勝でした。
そしてJ.ダンロップの2勝目は、1980年のクラシックTTでした。このレースでJ.ダンロップはヤマハTZ750に乗り、このレースの本命だったホンダU.K.のミック・グラントとロン・ハスラムを打ち負かし、見事当時の絶対レコード平均115.22mph≒185.4km/hを記録して優勝しました!
ジョナサン・レイのおじいちゃんが作ったレーシングチームに所属
J.ダンロップの、1977年と1980年のTT勝利を支えたのは、レイ・レーシングの人々でした。レイ・レーシングは北アイルランドのベルファスト郊外を本拠にする運送会社、レイ・トランスポート(※当時の名称。1981年以降はレイ・ディストリビューションLtd.)を母体としたレーシングチームでした。
ジョン・レイ・セニアが1970年代初頭に始めたレイ・トランスポートはアイルランド初の専用冷蔵トレーラーを導入した運送業者であり、1970年代には急速にそのビジネスを成長させました。そしてジョン・レイ・セニアは、家族付き合いしていたダンロップ家のジョイのレース活動をサポートすべく、レイ・レーシングを立ち上げるのですが、見事J.ダンロップは映えあるTTでの勝利で、その恩に報いたわけです。
このTT2勝の実績を評価され、その後J.ダンロップはホンダU.K.のエースとしてスターダムを上っていくことになります。そしてレイ・レーシングは、1979年から家業に加わったジョン・レイ・セニアの息子のジョン・・・愛称ジョニーがエースとして活躍。ジョニーはアイルランド国内選手権でチャンピオンになったほか1989年にはジュニアTTで見事勝利を記録し、栄光のTTの歴史にその名を刻むことに成功します!
ジョン・シニアが1993年に67歳で亡くなった後、ジョニーは事業を引き継ぎながら自身のレース活動も継続しましたが、最終的には事業を優先することを選択し、彼の2人の息子(※当時。現在ジョニーには4人子供がいます)がモータースポーツを始めるころ、自身のライダーとしてのキャリアを終わりにしています。
そんなジョニーの長男・・・が、2015〜2020年にSBK6連覇という未曾有の大記録を打ち立て、2021年もその記録更新をカワサキのエースとして目指しているジョナサン・レイなのです!
北アイルランドが生んだ2人の英雄、J.ダンロップとJ.レイには、このような深い結びつきがあったわけです。両家で今も現役のプロライダーとして走っているのは、J.レイとJ.ダンロップの甥で、TT通算19勝を記録するマイケル・ダンロップの2人ですが、これから彼らがどのような伝説を紡いでいくか・・・期待したいです。