河原良雄
自他共に認めるホンダマニア・元Motor Magazine誌編集部員のフリーランスライター。
連載:ホンダ偏愛主義
ミニバン市場をリードするヒット作が生まれる!
ホンダが初めて手掛けた背の高いクルマ、それが1994年に登場したオデッセイだった。当時アメリカではセダン離れが進み、ダッヂキャラバンやプリムスボイジャーに代表されるようなミニバンへと人気が流れ始めていた頃だ。そんな時代にホンダはオデッセイを持って、ミニバン市場に打って出たのである。
![画像1: ミニバン市場をリードするヒット作が生まれる!](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783342/rc/2020/03/19/55040108c4c8fdf23c4f16e3e98556aa3986e5d0_xlarge.jpg)
ホンダにとって背の高いクルマを造ること自体初めての試みであり、新ジャンルへのチャレンジであった。1645mmの低い車高は、既存の工場ラインを流す上限であった。他社と比較してこの車高は低くかったが、市販してみるとセダンからの乗り換え組から「ちょうどいいサイズ」と歓迎されることに。全長×全幅は4750×1770mmを確保していた。
さらに当時ミニバンのリアドアはスライド式が定番だったが、コストの兼ね合いから断念することに。が、こちらも世に出したら「ヒンジドア(開き戸のドア)の方がフツーに使えていいじゃん」となり、当時の定番とは少し違ったスタイルが大好評となったのだ。
オデッセイは、アコードをベースとしていたことに加え、低い車高ゆえの低重心がハンドリングの良さも引き出していた。ともかく走りが良かったのだ。
![画像1: ホンダが行った新ジャンルへのチャレンジ!【みんなの知らないホンダvol.9】](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783342/rc/2020/04/06/1342d87ed738a3387ffc66d6275bc5ec3aece1e3_xlarge.jpg)
![画像2: ホンダが行った新ジャンルへのチャレンジ!【みんなの知らないホンダvol.9】](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783342/rc/2020/04/06/e3ff2636bead8898e2ea56a2cacb195d6e1697ff_xlarge.jpg)
さらにインテリアの使い勝手も優れていた。シート配置は2-2-2席の6座、または2-3-2席の7座で、その3列シートは低くフラットなフロアに加え、ウォークスルーを可能としていてファミリーユースにジャストフィットだった。また、3列目のシートは不要の際は収納可能といていたことも人気のポイントとなっていた。
エンジンはアコードと同じく2.2L直4の145ps版で、ウォークスルーを考慮して全車4速オートマのコラムシフトとしていた。
オデッセイはたちまちミニバン市場をリードするまでのヒット作となるが、1997年に追加した「プレステージ」がポジションを確たるものとした。200ps版V6の3Lをノーズに収めラインナップに厚みを持たせた。何よりその余裕ある走り、本革シートや木目パネルによる豪華さ、さらには専用のエクステリアで特別感をしっかり訴求していたのである。
![画像2: ミニバン市場をリードするヒット作が生まれる!](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783342/rc/2020/04/06/c5219ffcbb312ec314ce2ace9c520993da091036_xlarge.jpg)
大成功したオデッセイは1999年に2代目へとスイッチ。当時映画やドラマなどで人気を集めていたアダムスファミリーが登場するCMが話題となり、認知度はさらにアップした。
その一方で1996年に「1.5ボックスライトミニバン」を謳うステップワゴンをリリース。右1枚ドア、リアをスライドとした2枚ドアとした他、回転対座やフルフラットなどミニバンらしいシートアレンジを加味し、リーズナブルな価格で人気になる。オデッセイとステップワゴンというミニバン2枚看板を手にしたことでホンダは更なる成長を果たすのだった。
振り返れば、初代オデッセイは正にホンダの中興の祖と言える存在なのであった。