1台のナックルヘッドからはじまった夢
1939年にミネソタ州に生まれたネスは、彼が子供のころにカリフォルニア州サンレアンドロに家族で引っ越します。そこで少年時代を過ごした彼は、やがてハーレーダビッドソンに憧れるようになります。しかし厳格な父は息子がモーターサイクルに乗ることは許さず、妥協として彼に買い与えたのはクッシュマンのスクーターでした。
高校卒業後にネスは自立しますが、彼の妻もネスがモーターサイクルに乗ることには反対しました。そして、ネスも2人の子供を養うために家具運搬の仕事に専念しないといけませんでした。しかしネスはハーレーダビッドソンを買うという夢を実現するため、コツコツと貯金に励んでもいました。
彼の夢がかなったのは1966年のこと。300ドルで買った古いナックルヘッドが彼の最初の愛車となりました。ハイスクール時代から約10年を経て晴れてバイカーとなったネスですが、子供のころからハーレーダビッドソンを買ったらあんな風にこんな風に・・・とカスタムの構想を膨らましていたため、それからはガレージにこもって作業に励むという日々が続くことになりました。
ネスのナックルヘッド・・・「アンタッチャブル」は、地元の東14番通りに集まるカスタムバイクファンたちの注目を集めることになります。そして、ネスのことをプロのバイクビルダーと勘違いする者も少なくなく、彼に自分のバイクもイジって欲しい・・・と依頼する人も少なくありませんでした。
気を良くしたネスは、さらに自分のバイクのカスタムに熱中するようになります。そして妻を説得し昼は生業、夜はカスタムバイクの仕事をするようになりました。やがてカスタムの仕事は順調に発展し、1971年からはカスタムバイクのビジネス一本で家族を養うことをネスは決心しました。
1970年代にネスが発表した「2バッド」は世界中の2輪雑誌に紹介され、彼の名声と評価を決定付けることになりました。その後もネスは精力的に作品を発表し、ハーレーダビッドソンのカスタムというビジネスを成長させていくことになります。
後世のカスタム文化に、多大な影響を与えた男
ネスが「夜の仕事」としてカスタムバイク作りとパーツ製造販売を始めた1960年代末の時代、当時のハーレーダビッドソンのカスタムのメインストリームは、映画「イージーライダー」でお馴染みのロングフォークのチョッパーでした。
そんな時代にネスは、ドラッグレーサー的な「ロー&ロング」的デザインを着想し、彼の作品を通してその概念を啓蒙しました。今では「ロー&ロング」はカスタムの定番スタイルとなりましたが、その普及のきっかけを生んだことは紛れもないネスの功績のひとつでしょう。現在活躍している世界中のカスタムビルダーのなかには、ネスの影響を受けた人も少なくないと思われます。
1995年1月に、東京・晴海で開催された「'95クラシック&カスタムモーターサイクルフェア」に7台の作品を特別催事として展示するため、ネスは初来日することになりました。そのプロモーションの一環として企画された記事制作のため、私は幸いにも1994年にアメリカでネスにインタビュー取材をする機会に恵まれました。
彼の店、そしてその周辺での走行シーンの撮影など取材は長時間に及びましたが、嫌な顔ひとつせずに様々なリクエストに応えてくれるネスの紳士ぶりに、非常に感銘を受けました。79歳でこの世を去ったネスの魂が、天国で安らかな眠りにつかれることをお祈り申し上げます。
なおこちらの動画は、彼の最初の愛車である「アンタッチャブル」についてネス本人が解説する動画です。ぜひご覧ください。