人が皆心に秘める恐怖に浸け込む、恐るべき怪物ペニー・ワイズに挑む少年たちの物語
実は僕は91年公開のテレビシリーズ(前編・後編)を観ている。それ以来、僕はピエロの姿をした不可思議なモンスター、IT=ペニー・ワイズのファンなのだっ。風船を片手に「君も下水道で一緒に浮かぼう」と残虐な微笑みを浮かべる奇怪なピエロは、実に魅力的な魔物でありヴィランなのだった。
テレビシリーズでは前編が主人公ビルを中心とした少年少女たちとペニー・ワイズの最初の邂逅を描き、後編では大人になったビルたちの前に再びペニー・ワイズが姿を現す、という、原作に結構忠実な作りだった。今回の劇場版では、前編だけを映画化している。
あらすじとしては、劇場版もかなり原作に忠実だ。
舞台は、米国地方都市デリー。27年周期でデリーには正体不明の何かが現れ、残虐な事件を引き起こす。”それ”の正体を知るものはいない。
そして1988年の夏、子供たちが行方不明になるという不気味な事件が続出し始める。主人公の少年ビルの弟、ジョージーも雨の日におびただしい血痕を残して姿を消してしまう。
ジョージーの死を事実として受け入れることができないビルの前にも”それ”が現れ、幻覚を見せるようになるが、恐怖の体験をしているのはビルだけではなかった。
ビルには吃音癖があり、それがゆえに周囲からいじめられている。同じいじめられっ子のリッチー、スタンリー、エディ、ベン、ビバリーらと結成したルーザーズクラブ(負け犬クラブ)のメンバーも、ビルと同じように奇怪なピエロの姿を目撃しており、人に言えない恐怖を募らせていたのだった。
自分たちの体験が単なる幻覚ではなく、”それ”の仕業であることを確信したルーザーズクラブのメンバーたちは、”それ”との対決を決意する・・・。街の誕生から続く27年周期の恐怖の連鎖を自分たちで断ち切るために。
環境に恵まれない少年たちの苦闘は「スタンド・バイ・ミー」を彷彿させる
ビルをはじめとするルーザーズクラブの子供たちはみな親との関係がよくない。というより、本作には正直まともな大人がほぼ出てこない。子供たちに対して異様に高圧的だったり、性的な暴行を加えていたり、溺愛するあまりに行動を著しく制限しようとするなど、とにかく異常な環境下に子供たちは置かれている。
”それ”との対決を決意する彼らは、同時にそうした環境からの脱出を試みているのだとも言える。そういう見方をすると、本作はスティーブン・キングには珍しい非ホラー作品の傑作『スタンド・バイ・ミー』を思い起こさせる。原作にはちょっと常軌を逸した記述が多いようで、傑作でありながらも行き過ぎたところが多々あることが指摘されているが、それでも子供たちが自分たちを抑圧する悪しき大人たちの下を離れ、自ら良き大人へと脱皮しようともがく姿を丹念に描いているところが高く評価されているのだ。
本作でも、苦しい環境に耐えつつ前向きさを忘れない彼らの姿は痛々しくもあるが、同時にこれがホラーであることを忘れさせるくらい、ひたむきで健気で心打たれるものだ。
ところで、テレビ版では”それ”の正体は蜘蛛の化け物で、それが明かされた瞬間(当時のCGが稚拙だったためもあるが)ちょっと引いてしまう感じがあったが、本作では前後編の前編でしかないため、そこは次回のお楽しみになっている(後編も映画化、されますよね??)。
共通しているのは、”それ”(ああ、もう!ペニー・ワイズと呼びますよ!)が、子供たちを食べる、というより、子供たちに恐怖を味あわせて、その恐怖を楽しんでいるらしい、というところだ。ある意味愉快犯であり、食欲とか殺し方に愉悦を求めるタイプではなく、相手に恐怖を与え、その姿を見ることに快感を覚えるタイプらしい、というところだ。
非常にサディスティックであり、変態であるが笑、本作でペニー・ワイズを演じるビル・スカルスガルドの若く鮮やかな笑顔は実に鮮やかで乾いていて、瞳の美しさとあいまって、言い方は変だがとてもとても魅力的かつ魅惑的で、子供達でなくても引き込まれる。
本作の出来を2倍にも3倍にもしている、最高の出来だと思う。
ここでふと思ったのだが、ピエロ姿のヴィランと言えばバットマンのジョーカーだが、ビル・スカルスガルドにこの感じで演じさせたらハマるんじゃないだろうか!