「スポーツバイク」という新しい概念を持ち込んだ『CB』伝説の幕が上がる
第二次世界大戦後10年以上が経ち、神武景気と呼ばれる経済成長期を迎え、バイクにも実用性だけではなくスポーツ性や趣味性が求められ始めた1950年代終盤。前年、ヤマハの後塵を拝した第1回全日本モーターサイクルクラブマンレースでの雪辱を果たすべく、ホンダは1台の本格的125ccロードスポーツ、ベンリィスーパースポーツCB92を59年5月にデビューさせた。
これが「CB」の第一号車だ。
プレスバックボーンフレームに懸架されたエンジンは、前年登場のベンリィC90をベースにした当時クラス世界唯一のOHCツインユニットで、圧縮比アップなどのチューニングを施すことで1万500回転という超高回転で15PSという当時としては驚くほどのハイパワーを発生。
この最高出力は当時の平均的な125ccモデルの2倍以上にもなる数値で、ゼロヨン加速17秒台、最高速度130㎞/hという動力性能を実現。当時はまだ珍しかったセルスターターも装備し、フロントブレーキにはレーシングマシン譲りのツーリーディング式ドラムブレーキが採用されていた。目論見どおり、第2回全日本クラブマンレースを圧倒的なスピードで制し、一般ユーザーにもベンリィスーパースポーツを縮めた「ベンスパ」の愛称とともに熱狂的に迎えられた。
そして、翌60年11月には250ccのドリームスーパースポーツCB72を投入。エンジンは57年のC70をベースにセルを装備した58年のC71、さらにクランクまわりを大幅に強化した60年のC72へと受け継がれてきた、ボア×ストローク54㎜スクエアの247ccOHCツイン。
市販レーサーCR71の開発ノウハウを活かしてC72の20PSから24PSへとパワーアップされ、最高速度は155㎞/hをマークした。車体関係もCR71譲りのパイプダイヤモンドフレームに、GP(グランプリ)レーサー譲りのテレスコピック式フロントフォークが組み合わされていた。
高回転性能を重視した180度クランクのタイプⅠと、360度クランクを採用した中低速型のタイプⅡが用意され、「トップギアで70㎞/h以下では走れません」というカタログコピーも話題を呼んだのだった。