実力派女性オフロードライダーのさきがけ
ライア・サンツやサンドラ・ゴメスなど、今日では男勝りの活躍をする女性オフロードライダーは珍しい存在ではありません。しかし時を1960年代に戻しますと、モーターサイクル競技は男の世界のもの・・・という考えが一般的であり、とりわけオフロード界はその傾向が強かったです。
レネー・ベネットは男と一緒の舞台で戦って、活躍した女性オフロードライダーのはしり、と呼べる存在です。イーストロンドン生まれのレネーは、モーターサイクルショップを営む父の影響もあり、2輪競技の世界への関心を高めていくことになりました。
1939年、レネーの父はモーターサイクルのオリンピック、と呼ばれるISDT(国際6日間トライアル)の英国代表に選ばれました。同年の大会はドイツでの開催でした。しかしナチスがポーランドへの侵攻を開始したことで英国もドイツとの戦争を余儀なくされる状況になり、英国ISDTチームは急遽ドイツからの帰国を強いられることになったのです。
第二次世界大戦中、父の店はドイツの爆撃により破壊されることになりましたが、戦後はアリエルの専門店としてビジネスを再開。レネーは15歳で学校を辞め、父の店でフルタイムワーカーとして働くことになりました。
後に店はアリエルだけでなく、BSA、フランシス・バーネット、マチレス、トライアンフ、ジェームスなど、オフロード競技で活躍していた英国メーカーの代理店にもなりますが、この頃にレネーも競技者として大会に参加するようになります。
まさに女傑! という言葉がふさわしいライダーですね
1956年にレネーはトライアルライダーだったハワード・パウエルと結婚し、長女のジュリーを出産しました。レネーはそのまま主婦業に専念・・・するようなことはなく、毎日ライディングの練習に励みつつ、母としての役目を果たします。そして1961年からは有名なSSDTに初参加。以降レネーは25回!もSSDTに参加し、6枚のシルバーメダル(現代のファースト・クラス・アワードに該当)を獲得しました。
1970年代前半まで彼女は競技者としてのキャリアを積み重ねました。また夫とともにモーターサイクル専門店を営み、経営者としても活躍。レネーは1980年代は多くの若手ライダーのスポンサーとなり、ライディングギア、スペアパーツ、そして資金を提供することで、多くの競技者の育成にも貢献しています。
彼女が1970年代末に作った「トライアル&モトクロス・コンペティション・センター」は4店舗まで拡大しましたが、1990年代にこれら店舗をレネーは売却しています。しかしおばあちゃんになった今もレネーはイースト・ハムで、ロードモデルの2輪専門店を経営!しています。
そんな彼女の1965年当時の勇姿をおさめたこちらのYouTube動画を、ぜひご覧ください! ピンク色の可愛いデザインのヘルメットなど、そのファッションにもご注目を!