不慮の事故で妻を亡くしたものの泣くことさえできなかった男が、ふとした出会いから感情を取り戻していく。
ストーリー
主人公デイヴィスは妻の父親が経営する投資銀行に務める金融マン。リッチで洒落た暮らしを手に入れたものの、なぜか空虚で何に対しても無関心になってしまっていた。
そんな彼は突然の交通事故で妻を亡くしてしまうが、泣くどころか哀しいと思う感情まで無くしていることに気づく。
空虚なテイヴィスの様子を見て、義理の父親は妻(彼にとっては娘)の死に対する哀しみによるショックであると考え、「心の修理も機械の修理も同じ。まず分解して隅々を点検し、そして組み立て直せ」とアドバイスする。その言葉に触発されたデイヴィスは、故障気味の冷蔵庫から始まって身の回りのあらゆるものを分解し始めるが・・・・。
感情を失い、精神が麻痺した状態で生きる男が、妻の死をきっかけにそのことを自覚し、徐々に自分を取り戻していくまでの軌跡を描く感動作。
恋人や伴侶の優しさに感謝したり、同僚や友人の動揺や焦りに気づいてあげられている?
デイヴィスは妻が死んだ夜、空腹を覚えて病院に設置された自販機でチョコレートを買おうとするが、故障していて品物が出てこないことを不満に思う。自販機の管理会社にクレームのレターを書く彼だが、なぜか妻の死を含めた、身の上話を書き連ね、やがて日記を書くように同じ会社に手紙を書くようになる。それがちょうど、自分の心を分解していく作業であるかのように。
デイヴィスを演じるのはジェイク・ギレンホール。
『ナイトクローラー』では夜の街を徘徊し、スクープ映像をモノにすることしか考えない、倫理観が麻痺したパパラッチを演じた彼が、今度は人間らしい感情を無くし喜怒哀楽が麻痺した男を演じている。
本作はカミュの「異邦人」を思い起こさせる。母親が死んでも感情を表さず、太陽が眩しかったからという不条理な理由で殺人を犯す男ムルソーを断罪する(救いのない)話だが、本作ではやがてデイヴィスの心が再生されていく様を淡々と描いている。
そう、本作は非常に淡々とした表現と画面が続くが、じわじわと心に染み入る良い作品である。
彼ほどでなくても、我々自身も日常のさまざまな些細な事件に対する感動や不安を無くしかけているかもしれないと思ったことはないだろうか。
ムルソーのようになったらもう手遅れ。デイヴィスのようになったらかなりの危機。それほどでもなくてもその兆しが出ているとしたら、早速自分の生活を見直してみるべきだろう。恋人や伴侶の優しさに感謝したり、同僚や友人の動揺や焦りに気づいてあげられているだろうか。
デイヴィスほどでなくても、感情を失くし精神が麻痺している人は案外少なくない、そのことを思い出させてくれるのが本作のメッセージだと思う。